紀州俗伝(現代語訳)インデックス
- 1-1 和尚に化けるキツネ
- 1-2 除夜のお風呂
- 1-3 吃りの真似
- 1-4 熊野詣の手鞠唄
- 1-5 熊野詣の手鞠唄異伝
- 1-6 指が腐る
- 2-1 小児の陰腫
- 2-2 見た者カラス
- 2-3 餅と塩
- 2-4 栗の毒
- 2-5 歯痛のまじない
- 2-6 牧野兵庫頭
- 2-7 耳の赤い猟犬
- 2-8 閾の上を踏む罪
- 2-9 卵の殻
- 2-10 白花の紫雲英
- 2-11 井戸に落ちた子
- 2-12 大塔山
- 2-13 鵁○の嫁入り
- 2-14 ノミを取る人取らぬ人
- 2-15 夜に爪を切る
- 2-16 感冒
- 2-17 盗人
- 2-18 なた豆
- 2-19 黒猫
- 3-1 師走狐
- 3-2 狐の仕返し
- 3-3 ホタル来い
- 3-4 雀と燕
- 3-5 今生まれた子限り
- 3-6 カイコの舎利
- 3-7 月の8日
- 3-8 欲深いシャレ
- 3-9 2つの鐘
- 3-10 比丘尼剥
- 4-1 師走狐の鳴き声
- 4-2 雨乞いの池
- 4-3 フクロウと天気
- 4-4 ホタル来い
- 4-5 鰹鳥
- 4-6 宵の蜘蛛、朝の蜘蛛
- 4-7 他人の足の裏
- 4-8 狐と硫黄
- 4-9 早口言葉
- 4-10 狼を山の神と
- 4-11 女に化けるアナグマ
- 4-12 葉巻煙草
- 4-13 一文蛤
- 4-14 高野山の井戸
- 4-15 蝸牛の囃し詞
- 4-16 壁の腰張り
- 4-17 ムカデとマムシ
- 4-18 足のしびれを直す方法
- 4-19 熊野詣の手鞠唄異伝2
- 4-20 人買い
- 4-21 ホオズキ
- 4-22 玄猪
- 4-23 茶釜の蓋
- 4-24 コオロギの鳴き声
- 4-25 トンボ捕り
- 4-26 そばまきとんぼ
- 4-27 木偶茶屋
- 4-28 七つ七里
- 4-29 油虫
- 5-1 田辺のコオロギの鳴き声
- 5-2 卵の殻
- 5-3 和歌山及び田辺の手鞠唄
- 5-4 田辺の手鞠唄
- 5-5 マタタビ
- 5-6 4人が5人に
- 5-7 虫除けの札
- 5-8 胎衣
- 5-9 揺岩
- 5-10 数えると落ちる
- 5-11 何度も言ったら
- 5-12 モー疝気腹痛
- 5-13 筆草,筆拭草,金比羅
- 5-14 犬伏せの呪,蜂伏せの呪
- 5-15 雷伏せの呪
- 5-16 寒蝉の鳴き声
- 5-17 秋の日焼け
- 5-18 月夜の結婚式ごっこ
- 5-19 猿を忌む
- 5-20 護摩焚き,河童
- 5-21 ムカデ伏せの呪
- 5-22 味噌桶を洗うと
- 6-1 石芋,弘法大師
- 7-1 目が潰れる
- 7-2 膈の治療法
- 7-3 カニの甲羅
- 7-4 はえ,安倍晴明
- 7-5 誤りを正して
- 7-6 波風を鎮める
- 7-7 怪我したときの呪い
- 7-8 巨蜂に刺されて
- 7-9 カマキリ
- 7-10 フクロウが家の近くで
- 7-11 はしか
- 7-12 柚の擂り粉木
- 7-13 リスは魔物
- 7-14 塩鰹
- 7-15 馬
- 7-16 立里の荒神
- 7-17 雨栗日柿
- 8-1 子供をくすぐるとき
- 8-2 野猪を威す方法
- 8-3 柚の実と鍼
- 8-4 葬式の行列
- 8-5 まめのは
- 8-6 花咲か爺の異態
- 8-7 山の天狗様
- 8-8 木地屋
- 9-1 人柱
- 10-1 弘法大師と麦
- 10-2 客を呼ぶまじない
- 10-3 灯花
- 10-4 料理屋のまじない
- 10-5 褐色の瞳
- 10-6 字を書いた紙で
- 10-7 トンビとカラス
- 10-8 神子浜の手毬唄
- 10-9 手毬唄の続き(田辺)
- 10-10 神子浜の手毬唄の最後
- 10-11 和歌山,田辺の手毬唄
- 10-12 葬儀と魚
- 10-13 荒神様畑を焼く
- 11-1 雷のへそ
- 12-1 一昨日来い
- 12-2 雀
- 12-3 閏年
- 12-5 木偶の首
- 12-6 畑泥棒への罰
- 13-1 一極めの言葉
- 13-1附記 法師様
- 13-2 地蔵菩薩と錫杖
- 14-1 打出の小槌
- 14-2 蟻の群れ
- 14-3 アナグマが女に化けること
- 14-4 猴神社
- 14-5 馬を忌む稲荷神社
- 14-6 紀州豊年米食わず
- 14-7 猫が蟻を
- 14-8 犬の脚
- 14-9 盗人避けのまじない
- 14-10 陰暦十月亥の月
- 14-11 毒虫毒魚に刺された時
- 15-1 紀州の七人塚
- 15-2 血を吸わない蛭
- 15-3 肉吸いという鬼
ちょっと解説
熊楠は柳田国男宛て書簡(大正3年5月10日)に「紀州俗伝」のことを次のように述べています。
小生の「紀州俗伝」は、民俗学材料とはどんなものどもということを手近く知らせんために書き出でしなり。伝説とか古話とかには、うそ多く新出来も多く、また、わけ知らぬものがたちまち出逢うと俚談らしくて実は古い戯曲などに語りしを伝えて出拠を忘れたるもの多し。それよりも土地に行なわるる諺語や、洒落詞、舌ならし(『喜遊笑覧』にいうところの早口)、また土地のものが左までに思わぬ些々たる風習、片言等に反って有益なる材料多し。とにかく近ごろ諸国諸方より「紀州俗伝」風の蒐集が出で来たれるは、郷土研究のためにも賀すべし。一国の植物群を精査せんには、いかなありふれたことも、仙道に至っては微かに存し、東京辺には全くなき等、民俗の分布を知るには、かかる些事些事の蒐集がもっとも必要なり。縁起経や神誌や伝説ばかり集むるは面白いが、そは比較文学に似たことで、民俗学唯一の事業にあらざるなり。小生は民俗学が社会学の一部なるごとく、説話学は単に民俗学の一部に過ぎず、と主張す。