13-1 一極めの言葉
一極めの言葉(郷研3巻37頁参照) 『嬉遊笑覧』巻六下にいう、古今夷曲集に題不知、行安「小姫子の隠れごにさへ雑ざらぬは最早桂のは文字なるべし」。風流徒然草に「その訳知れぬ事侍り。隠れん坊に雑ざらぬ者はちつちや子持や桂の葉とは子供の言う事也」とある。行安の狂歌もこれを取ったのだ(中略、注の中に信田小太郎の浄瑠璃より、隠れん坊に雑ざらぬ者は、なふちや辛夷や桂の葉、草履隠し肩車、足の冷たいちょこちょこ走りという言葉を引く)。この戯れも一極めて鬼となる者を定めることだ。
そのとき言う言葉は、江戸では「かくれんぼうに土用波のかさつくれ坊とつりやそつちへつんのきや」(また、づんづんつのめの云々、中切り ぢやむぢやが鬼よとも言う)。出羽庄内では、幾人でも互いに拳を握り出して、これを順に数えるように言う、「隠れぼちだてやなあなめちくりちんとはじきしまたのをけたのけ」。また「にぎりたぎりしよたぎりをけたのけ」とも言う。また江戸では「いちくたちく」ということもするのだ。篗絨輪に「寵愛の余り猪口までいとしぼいちくたちくに毛だらけな腕」千雪。彼ちちや子持も、この一極めということをするのに言った諺であろう云々(以上、『笑覧』の説)。
いちくたちくの詞は中村君の報告の中にも出ている。昔すでに一極(いちきめ、か)という語があった上は、中村君が新たに仮設した選択の言葉の代わりに、もっぱら一極めの詞とか文句とかいいたいものだ。
拙妻が幼いときいつもその祖母(25年前81歳で逝く)に聞いた、田辺の隠れん坊の鬼を決める詞、「隠れん坊しやく、ししはしめ食(く)て、雀は稲食て、チュッチュッチュッ大勢の中でお一人をようのいた、お二人をようのいた、チャンチャンヌクヌクお上がりなされよ」。ただ今そんな詞を知る者は少なくじゃん拳のみに用いるが、近郊の神子浜では「ひにふにだあ、だらこまち、ちんがらこけこのとう」と数える。守貞漫稿巻二十五にも、隠れん坊を定める詞、京坂では「ひにふに達磨どんが夜も昼も赤い頭巾かづき通し申した」、江戸では「ひにふに踏だる達磨が夜も昼も赤い頭巾かづき通した」と載せる。
また『笑覧』巻六下、目隠しの条に「福富草紙目無しどち軒の雀と云り云々。賑草に、今頃は弥生の中頃である。軒の雀とて、他の鳥よりは人に近い者だが、人をおそれ少しも油断しない。この頃は常のように早くは逃げ去らない。家の内までも入って餌を求める。子を養っているためだとある。これが軒の雀の意味である」と見える。中村君の記事の三に俵の鼠、右の田辺の古い詞にしし(熊野では今も鹿を「しし」と呼ぶ所が多い)や雀を挙げたのは、軒の雀と同例で、子供達をこれらの群棲する禽獣に見立てたらしい。
また田辺で「山(やーま)の山(やーま)の」という子供の遊びは一人の子が鬼となって立った周囲を子供が多勢で手をつないで回り行き、一斉に「山の山の庚申さん、お鍬をかたげて芋掘りに焼いて食べるとて芋掘りに、その跡に誰がある」と唄う。
10年ばかり前まで、那智山辺りで他人の所有地に入る者は鍬をかたげて行き、地主にとがめられたらとろろ芋を掘りに来たと言いさえすればそれで済んだ。本文の詞に関係ないらしいが次いでの述べておく。
唄い終わると同時に一同歩みを止め環をしたまましゃがむと、鬼はちょうど自分の後ろにしゃがんだ者の名を察して言う。言い当てればよろしく、ついに言い当てなければ頭や尻までもさぐって言い当てさせる。さて、終いに言い当てた後、鬼が立って周囲の子供の頭を指し数えながら「頭の皿は、幾皿6皿、7皿8皿、8皿むいてかぶらむいて、天に帆を懸け狐袋鯛袋、庚申さんのまな板、やぐらは鬼よ」(上出江戸の「ぢやむぢやが鬼よ」参照)と唄い終わるとき、鬼の指に当たった子が新しい鬼となるんだ。
これよりもすこぶる珍奇なことは、古来紀州諸方で満座の中で屁を放った本人が定かに知れぬとき、同じく一極めの法をもってその砲手を露にする。そのとき唱える詞を和歌山でも聞いたが、忘れたから田辺のを述べるとこうだ。「屁(へー)放(へ)りへないぼ(尻に出来る腫れ物。甚だ痛む)放った方へちゃっと向けよ、。猿の尻ぎんがりこ(キャロシチーの方言)、猫の尻灰塗れ、屁放った子はどの子でムる、この子でムる、誰に当たっても怒り無し」。つらづら考えるに、屁を放りながら黙り隠す奴は、天罰を受けて尻が腫れるか、猿の尻のように堅くなるか、猫の尻のように灰に塗るべしと脅す意味じゃろう。
『笑覧』にまた曰く、「隠れん坊とは異なりながら芥隠しまた草履隠しがある。いずれも同じ仕方で、一人が尋ねる者に当たり、隠した物を求め出させる。尋ねる者を鬼という云々。甲乙次第を定めるのに草履を片々脱いでこれを集め、空に向かって一度に投げ馬か牛かと問い、その伏仰を言うのだ。たとえば将棋の金か歩かといい、碁の調か半かといってすることのようだ」と。
田辺では左様にしない。鬼を定めるにはやはり一極めの法がある。まず幼児多くが輪をなし、1人が中に立って子供達の履物を片々集め並べ、一端より手または棒で叩き数え唱える詞に「じょうりきじょうまん、にたん所はおさごいごいよ、剃刀買うて砥を買うて、子供の頭をぢょきぢょきぢょきっと剃ってやろ、ななやのきはとんぼ」(和歌山では「にたん所は」の代わりに「おささにひっからげて」、「ぢょきぢょきぢょきっと」の代わりに「ぞきぞきっと」、その他は全く同じ)。
この詞が終わるとき叩かれた履物をその持ち主が取って履く。幾度もこうして1人の履物の片足だけが残るとき、その持ち主が隅に向かって眼を覆いかがんでいる間に、一同が彼の片足の草履を持ち去って隠し、一同が還ってくればその持ち主が探しに行く。一同は「きーぶいきぶい(危うい)そこら辺りは味噌臭い」と呼び騒ぐ。さて、かの持ち主がその片足を見付け履いて還ってくれば、子供達の輪の中に立ち、新たに遊びを始められるが、ついに探し出すことができなければ、知らぬと声を立てる。そのときは一同が行って見出してくれるのだ。
また紀州に「ずいずい車」という子供の遊びがあった。和歌山での作法は忘れてしまったが、田辺近郊の神子浜に残存する物を聞き書きすると、まず子供が数人火鉢を囲んで各々その両手を握り差し出す。1人が片手で順に叩きつつ「ずいずい車の博多独楽、からすめひっからげてあきぐるま、あき通ればドンドコドン」と唄い終わるとき、当たった子が鬼となる。さて子供達が両手を袖や懐の内に隠してるのを、鬼が探ってことごとく両手をつかみ終われば勝ちとする。子供達はつかまるまいと隠しまわる。鬼よりも力のある子の手は鬼が容易くつかむことができないのを興ずるのじゃ。