神子浜(みこのはま)
現・和歌山県田辺市神子浜。
南方熊楠の手紙:南方二書(現代語訳24)
当地に近い神子浜(みこのはま)という所に神楽神社というのがある。小生は土地の伝承を考えて、必ずこの近くの土地に古塚があるはずだと言った。2年前にこれを聞いてその土地を買収し、夜分ひそかに発掘してインベ11を得て、私蔵する人がある。それから小生は、このようなことを話すのはかえって科学上有益な古蹟の滅却を早めるものと思い、そんなことは一向に言わないでいる。
南方熊楠の随筆:紀州俗伝(現代語訳3-2)
田辺町に近接している湊村に、昔、金剛院という山伏がいた。庚申山という山伏寺で山伏の寄り合いがあるので、神子浜の自宅から赴く。その途中の道に老狐が臥している。その耳に法螺を近づけて大きく吹くと、狐は大いに驚いて去る。その仕返しにかの狐が、闘雞権現社畔の池に入り、しきりに藻をかぶって金剛院に化ける。
南方熊楠の随筆:紀州俗伝(現代語訳4-15)
田辺で蝸牛を囃す詞は「でんでん蟲蟲、出にゃ尻つめろ」、近所の神子浜では「でんでん蟲蟲、角出せ槍出せ」。
南方熊楠の随筆:紀州俗伝(現代語訳4-8)
田辺と神子浜の両地ともに伝える。狐は硫黄を忌む、よって付け木(※つけぎ:檜・松・杉などの薄い木片の先に硫黄を塗りつけたもの※)またマッチを懐に入れれば魅されないと。
南方熊楠の随筆:紀州俗伝(現代語訳10-8)
田辺付近の神子浜の手毬唄は、郷土研究1巻495頁に載せた田辺のものと少し違う。「薮の中のお金女郎、誰と寝よとて鉄漿(※かね:お歯黒のこと※)付けて、叔父御と寝よとて鉄漿付けて叔父御の土産に何貰た。赤い手拭3尺と白い手拭3尺と、奥の奥へ取り置いて、いつも来る長吉が、ちょっと持って走った。どこまで走った。今日まで走った。
南方熊楠の随筆:紀州俗伝(現代語訳10-10)
神子浜では「好ぇ大根の煮たのを、お千代様に一切盛てやれ盛てやれ」と唱えながら突き続け、最後に強く突き、疾く身を一廻り舞わし、落ちて来る毬を手の甲に受けて、また突き始める。
南方熊楠の随筆:紀州俗伝(現代語訳13-1)
ただ今そんな詞を知る者は少なくじゃん拳のみに用いるが、近郊の神子浜では「ひにふにだあ、だらこまち、ちんがらこけこのとう」と数える。
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