紀州俗伝(現代語訳13-1附記)

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紀州俗伝(現代語訳)

  • 11-1 雷のへそ
  • 12-1 一昨日来い
  • 12-2 雀
  • 12-3 閏年
  • 12-5 木偶の首
  • 12-6 畑泥棒への罰
  • 13-1 一極めの言葉
  • 13-1附記 法師様
  • 13-2 地蔵菩薩と錫杖

  • 13-1附記 法師様

     

     (附記) を書き終わって後、田辺の町外れで今も行うずいずい車の一法を知ることができた。子供達が輪になって座り、各々両手を握って親指の側を天に小指の側を地に向け差し出していると、その1人が自分の右手で自分の左手の天の側、次に地の側、それから順次に他の子供達の手毎の天の側ばかりを叩いて回り、自分の番に当たるときだけ左手の両側を叩いてその両手に代える。初め自分の左手の天の側を叩くと同時に唄い出す詞に「ずいずい車の博多ごま、この手を合わせて合わすかポン」、ポンと言う同時に手を叩かれた子は列を退く。叩き手が「ポン」と同時に自身の左手の一側を叩けばその一側を除き、その後、他の一側を叩き当たれば自分を除く。こうして幾度も唄い叩き回れば、子供達は退き叩き手の他は1人の子供だけが残る。その1人の子供が鬼となり、一同の手を片端から探り捕らえることは前述に同じ。

     これらと関係ないが作法が似たことなので、また予が一向に書籍で見ないので、何かに出ているか質問を兼ねて記すのは、今は知らないが30年ばかり前まで、大阪や和歌山などで宴席に行われた「法師様(ほうしさん)」という遊びだ。明治20年頃、予三島中洲先生の息桂氏と、米国ミシガン州立農学校の寄宿舎で、秘密でウィスキーを買って、かの国生まれの学生とこの遊びを催し、それより大事件を引き起こし、衆人の身代わりに予1人が雪を踏んで脱走したのが一生浪人する暮らしをする事の起こりで、国元へ知られたら父母はさぞや嘆くだろうと心配したが、幸いに2人ながら知られずに終わられた。

    三菱創立の元勲故石川六左衛門氏の息で千石貢君の夫人の弟 保馬という人だけがその状況を親しく見たのだが、非常に沈黙な君子で6年後ロンドンで30〜40日同棲飲食したが、ついに一言もこのことに及ばなかったことには今も心から感謝して忘れないでいる。今も健在なら識者中に知人も多かろうからどうかお礼を述べてほしい。と序言が長いが、かの遊戯はそれほどまで難しくない。

    酒客の多くの人が輪になって座り、その1人が手拭で眼を縛り座ると、他の1人が輪の真ん中に座って「法師様ぇ、法師様ぇ、どこへ盃さーしましょ」と唄い、さてここかここかと唱えながら思い付き次第に人々を指す。仮の盲法師が「まだまだ」と言えば人を差しかえ、「そこじゃ」と言えば指された人が飲まなければならない。飲み終わって手拭を受け新たに法師となることは事前のごとし。

    拙妻が言うことには、田辺で行われた「べろべろの神様」という遊びは、趣は同じで作法が少し違う。輪の中の1人が扇など長い物を両手に挟み、振り鼓(方言べろべろ太鼓)のように捩り回して「べりべろの神様は正直な神様でおささの方へ面向ける、面向ける」と唄い終わると、同時に輪になって座る1人を指し誰かと問う。輪になって座ってる1人眼を覆っている者が、指された人の名を言い当てれば、当たった者は1盃呑み、代わって眼を覆うと。この遊びはもとは何と名付けられたものか、皆さんの教えを待つ。

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    「紀州俗伝」は『南方随筆』(沖積舎) に所収。

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