8-8 木地屋
西牟婁郡二川村大字兵生に木地屋の段という所がある。14、5年前に木地屋が4、5軒来てここを開いて住み、その去っていなくなった。阿波より出たという持種の民で、山を家とし山で生まれ山で果てる。言語は他と異なり、木地とはハイノキ、サカキ、ミズキなど割れやすい木で盆椀などを作る。また特に木地というのはこの図のような器に餅などを盛って神に供える物だ(※図は本で見てください。『南方随筆』(沖積舎) 401頁※)。
この族は神の器を作るゆえ威高く、常人は木地屋と交わると威に負けると言って結婚しない。その婦女は美人が多い。食物は常人と異なり、餅を練り幣の形にし串に貫いて両面に味噌を塗って焼き御幣餅と称して食べる。香味が異なって旨い。この族に他人が貸した物は取れず倒し切りである。兵生を去って下川へ行った。
昔はこの族が来れば所の者は苦情を言うことができなかった。その辺の木地になる木を勝手に伐り、木地に作った。今はそのようなこともできず林木を買って伐り働く。
この族の女で常人の妻となったのも現にいると兵生の西面欽一郎氏は話される。