9-1 人柱
長柄の橋柱(郷研1巻42頁参照)にそのままな話が紀州にある。西牟婁郡岩田村に、富田川に沿って彦五郎堤というのがある。土塁(方言シキ)の幅25間、頂上の幅10間ばかり、この上で祭の競馬をしたことがある。
昔、この堤は度々の大水で破潰し、隣村までも被害が甚だしかったので、奉行が来て土地の人を集め、人柱を入れよう議決したが、進んで当たる者はない。通行の人の衣服に横継ぎがあったらその者を人柱とすることに定め、いちいち検査したところ、彦と五郎とがこのようであったので、人柱とさせられた。
この大堤は明治22年の洪水でことごとく潰れてしまったのを近年回復させた。水害のあと捜したが、人柱の跡らしきものはまるでなかったという。
あるいは件の2人はこのようなことを言い出したらたまたま自分らの衣に横継ぎがあったので、やむを得ず人柱になったともいう。
この辺りを夜通って変死する者がときどきある。近村はもちろん2、3里隔てた田辺町でも、男子の衣服に横継ぎがあるのを忌む。
考えるにこのような話は古ギリシアにもある。エジプト王ブーシーリスの世に9年もの大日照りがあった。キプルス人プラシオスが、年毎に外国生まれの者を1人ゼウス神に生け贄を捧げよと勧めたところ、その外国生まれであることをもって王はまずそのプラシオスを生け贄にしたという。