15-1 紀州の七人塚
紀州の七人塚 紀州西牟婁郡長野村大字馬我野(ばがの)字鎌倉に七人塚という所がある。塚は今はない。むかし7人の山伏がここに住んでいた。ある日、田辺沖を通る船に向かって秘術をもってこれを止めると、船の中にもえらい者がいて沖から山伏どもを見つけ、秘術を行って止めたから7人の山伏はみな動くことができず、ついにここで死んだという。今もまだ沖を通る船からここを望むと、一点の青い光が怪しく夜光るという。以上、本年7月11日の牟婁新報より抄出する。
また森彦太郎氏の通信に日高郡上山路村大字西にも七人塚がある。鶴が城が落ちたとき戦死の7士を葬ると称して塚の上に小祠がある。
なお『紀伊続風土記』牟婁郡三里郷伏拝村(今の東牟婁郡三里村大字伏拝)の条にも七人塚を記し、堀内左馬助が鬼ケ城を攻めたとき、37人が手負い、死んだ。その7人を葬った所で碑石1基があると見えているとのことである。