14-4 猴神社
西牟婁郡湊村字磯間は、万葉集に見えた磯間浦ということで、風景絶佳だ。猴神(さるがみ)の古社があって今は日吉神社と号し、先年合祀されるところを予らが烈しく抗議して免れた。田辺の近所には長野村と稲成村大字糸田と磯間の3所におのおの猴神社があって、長野村が陰暦の10月、糸田が11月、磯間が12月の某の申日祭礼をしたが、糸田と長野村のは合祀させられ、磯間のも祭日を改めた。以前は旧師走の寒い夜中に神輿渡御があった。
社の側に天然の橋のように高く2つの岩山の間にかかった岩のアーチがある。昔のこの辺りで人身御供を行ったと言い伝える。磯間の女は昔から専ら京都へ奉公に出たので、言語応対がすこぶる温雅だ。漁業と農桑を兼業し、総じて富有である。以前はこの猴神の祭りへ日高郡など遠方から農民がおびただしく参詣した。「さるまさる」と言って、猿を繁殖の獣として尊ぶのだそうな。