糸田(いとだ)
現・和歌山県田辺市稲成町。
南方熊楠の随筆:南方二書(現代語訳12)
どこにでもあるものなので、どこの森を伐ろうがかまわないじゃないかと言われようが、実際はそうではない。20町30町地押し(※じおし:検地※)するように委細に調べても、まったく普通種1種をも出さない森がある。また当田辺町を去る3,4町ばかりの糸田の猿神社(※高山寺に隣接してあった※)のタブの老木株は1丈に満たないものであるのに、従来日本にないと思われた粘菌を30種ほど見出し、そのひとつは新種である。
南方熊楠の随筆:南方二書(現代語訳22)
(ハ)は、弘法大師が臨んで影を留めたという弘法の淵である。『後鳥羽院熊野御幸記』に見えている、河に臨んで大淵ありとはここの他ない。このムクノキも3年ほど前に伐ろうといったのを、小生らが抗議して止めた。さて、その伐ろうといった者は今春即死。また件の糸田の神森を伐り、酒にして飲んでしまった神主も、大いに悔いていたが、数ヶ月前に、へんな病で死んだ。
南方熊楠の随筆:紀州俗伝(現代語訳14-4)
田辺の近所には長野村と稲成村大字糸田と磯間の3所におのおの猿神社があって、長野村が陰暦の10月、糸田が11月、磯間が12月の某の申日祭礼をしたが、糸田と長野村のは合祀させられ、磯間のも祭日を改めた。以前は旧師走の寒い夜中に神輿渡御があった。
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