稲成村(いなりむら)
現・和歌山県田辺市稲成町。
南方熊楠の手紙:南方二書(現代語訳21)
当地に近い稲成村の稲荷神社の神林は、幸い今日まで大規模に伐り取られることなく、ヨウラクラン、カヤラン、ミヤマムギラン、シソバウリクサ、ホングウシダ、シャクジョウソウなどが多いだけでなく、小生が図した帽菌はおよそ400ほどある。粘菌中 Enteridium 属と LIndbladia 属は、じつは別属ではなく同一属であることを証明することができる標本なども、ここで取った。これも例の俗吏が神林を掃除せよと度々命ずるので、腐葉土がなくなっていき、毎年、楠やシイが枯れていく。
南方熊楠の手紙:南方二書(現代語訳22)
しかるに4年前厳命してこれを(ニ)にある稲成村の稲荷社へ合祀し、跡地の木を一切、アリドオシノキのような小灌木までも引き抜かさせた。明治8年とかにも一度合祀したが、今度は決して神が帰ることができないようにと、かくまで濫伐し、かつ石段を壊滅させ、石灯籠その他を放棄させた。ゆえにこの地点だけ、イスラム教の婦女の前陰を見るかのように全く無毛となり、風景を害することはなはだしく、またそれだけでなく土壌崩壊して、ジンバナ井と申して、近傍きっての名高い清浄な井戸水を濁し、夏日は他村の無頼漢、えた児などがここに上がり、村中の娘の行水を眺め下ろし、村民の迷惑は一方ならず、よって交通を遮断し、今は畑にも何にもならず弱っている。
南方熊楠の随筆:紀州俗伝(現代語訳2-11)
田辺付近の稲成村などで、井戸へ落ちた子は雪隠へも落ちる癖が付くと言い伝える。また雪隠へ落ちた子は、必ず名を替える。
南方熊楠の随筆:紀州俗伝(現代語訳2-14)
稲成村より来た下女が言うには、蚤を詳細に取る人は多く蚤にかまれ、取らない人は蚤にかまれないと、村人は一般に信じている、と。この下女は一向に蚤を取らない。
南方熊楠の随筆:紀州俗伝(現代語訳14-5)
田辺の近所の稲成村の稲荷神社は、伏見の稲荷より由緒古く正しいものを、むかし証文を伏見へ借り取られて威勢がその下になったと言う。今も神林鬱蒼たる大社だが、この神はなはだ馬を忌み、大正2年夏の大日照りにも鳥居前で2、3疋馬駆(うまかけ)すると、翌日たちまち少雨降り、その翌日より大いに降ったと言う。しかしながら老人に聞くと、以前はこの鳥居前に馬場あって例祭に馬駆したと言う。そうであれば馬場がなくなってから、神が馬嫌いになったものか。
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