糸田猿神社、竜神山
封入の写真〔※写真欠く※〕(甲)は、小生が故リスター氏(英国学士会員)に贈ったもので、小生が神社合祀反対を3年前に申し出した発端の動機を示すものである(『大阪毎日新聞』昨年2月12日?のに出た)。
(イ)は、前状に申し上げた粘菌がおびただしく生ずる糸田猿神社の小神林で、ケヤキ、ムク、ミミズバイ、ハイノキ、タブ、ジュズネノキ、ヒョンノキ(当町より3丁(※1丁は約109m※)ばかりの地でなかなか見られない大木だけを挙げる)その他より成り、そのタブノキにマツバランの大株がついていた。岡村周諦氏査定の、これまで本邦にないと思っていた、アストムム・シュブラツムもある。アーシリア・グラウカは、世界中でこの辺にだけ連年見つけ出した新種である。
しかるに4年前厳命してこれを(ニ)にある稲成村の稲荷社へ合祀し、跡地の木を一切、アリドオシノキのような小灌木までも引き抜かさせた。明治8年とかにも一度合祀したが、今度は決して神が帰ることができないようにと、かくまで濫伐し、かつ石段を壊滅させ、石灯籠その他を放棄させた。ゆえにこの地点だけ、イスラム教の婦女の前陰を見るかのように全く無毛となり、風景を害することはなはだしく、またそれだけでなく土壌崩壊して、ジンバナ井と申して、近傍きっての名高い清浄な井戸水を濁し、夏日は他村の無頼漢、えた児などがここに上がり、村中の娘の行水を眺め下ろし、村民の迷惑は一方ならず、よって交通を遮断し、今は畑にも何にもならず弱っている。
(ニ)は、前述した植物の多い稲荷社のシイノキ林である。これも何とかしなければ、今にまた理由をつけて伐られること受け合いである。(ハ)は、弘法大師が臨んで影を留めたという弘法の淵である。『後鳥羽院熊野御幸記』に見えている、河に臨んで大淵ありとはここの他ない。このムクノキも3年ほど前に伐ろうといったのを、小生らが抗議して止めた。さて、その伐ろうといった者は今春即死。また件の糸田の神森を伐り、酒にして飲んでしまった神主も、大いに悔いていたが、数ヶ月前に、へんな病で死んだ。
祟りなどということは小生は信じないが、昨今英独の不思議研究者らは、もっぱらその存在をいい、小生も、神社合祀励行、神林乱伐に伴い、至る所でその事実があることを認める。思うに、不正姦邪の輩は知らず知らずの間にその悪行を悔い、悔念重畳して自心悩乱することと存じます。このようなことを、当国官公吏また神職らは迷信といって笑うことが多い。
しかしながら、いずれの国にも犯神罪がある(sacrilege)。キリスト教国にもこれを犯して神罰で死ぬことが多いのは、小生も常に見た。万世一系の国体を論及して皇室を仰ぐのも、天子を見つめれば眼が潰れるといって小児に不敬を戒めるのも、実際教えにおいては大差がない。
小生は、迷信を排除してなにか世間に顕著な効益を挙げたとはひとつも聞かない神職らが、神体を持ち去り、神社を潰し。神森を公売濫伐して、千古よりこの方わずかに神林によって生を得、種族を伝え来ていた諸生物を濫滅し、そしてこれを惜しみ悲しむ者を迷信迷信と嘲るほどの人に、果たして、敬神、敬皇、敬愛国の真念があるのかを疑う。ましてやこのようなことに心を責められて樹から落ちて死んだり、発狂して死ぬほどの腰抜け輩には。
(ロ)は竜神山(りゅうぜんさん)といって上り道が30丁ある。古えは桜樹の名所であったが、濫伐が打ちつづき、土砂崩壊して小川を埋め、毎年洪水が絶えない。そして頂上(ロ)と書いたところにクラオガミの神祠がある。今日の日本にあまり多くない神で、『日本紀』などに見えているので、もっとも崇敬すべきである。この頂上に神池があり、清泉が湧出する。
そのかたわらに、この山頂を絶海の孤島のようにして、カキノハグサ、ウリカエデ、メグスリノキ、フデリンドウ、マメヅタラン(東牟婁郡にもあるが多くは開化しない。ここのは必ず開化する)、それから、小生発見の(1)図のような反橋(そりはし)形の大珪藻、オオルリソウ、また淡水藻シリントロカブサの一種、また(2)図の鼓藻の熱帯産である珍品トリブロチソス、また奇体なミクラステリアス・トランカタの変種で(3)図のように続いているのがある。
またヤブコウジより小さい小灌木で花の赤いのがある。牧野氏に見てもらったところ、ベニドウダンとのこと。ベニドウダンは丈(※1丈は約3m※)余りになるものとのことだが、ここのは数寸(3寸を過ぎない)で、花があるのも不思議である。また Lycoperdon の新種がある。加えて、四方眺望絶景にして、山川溝港湾岬丘山などの地理を、小児に示すのに屈強の所である。それなのに、これも村人が拒むのを無理に山麓の社に合祀し、大きな石鳥居を移す。
この山は冬と夏の2度、近県より夜も昼も参り、柿店などが出て大いに賑わい、村民および近町の者の利となり、また小児なども健足の便りとなり、四望して気性を養成するによい。村民はこの祭日を当て込み、無賃で総出となり、道路を修め山林を整えたのだ。それなのに、神社を無理に合祀されたため、隣村がこの山の小さな林木を争うことが絶えなくなった。アカメヤナギ、ノグルミ、ゴシュユなど、この近傍にはここにしかないものも追々滅跡していって、神流にあった無数の鼓藻、バトラコスペルマムの異品も絶え失われ、洪水が多くなり、山は荒れ、土は崩れいく。この小山の一方に杉林を作り防崩林を営むのに、一方では樹木濫伐して土壌崩壊に任せるのを見るのは、じつに行政上の大矛盾、一奇事である。
一作春末、この上に登る道の上にスズメノオゴケのようなもので、花が黄色のを多く見つけて、牧野氏に送った。すこぶる珍品とあって今年とりに行くと、土砂崩壊のため見当たらず、小生の手元にわずか2本しかなく困っている。山林を伐って、あとへ柴を植えつけるとか羊を飼うとか、そんなことは少しもなく、ただただ濫伐して行くのだ。下流の諸村は、どうしてか近年大水がひどくなったというだけだ。これまた似た者同士で、山頂の木を伐るから水が急に来るということに気づかない。
官公吏はただただ神社をひとつでも多く潰し、自治制がよく行われている徴候と自慢し、神がなるべく旧趾に戻らないようにと、いろいろ尽力して樹を伐らせ、その金は伐木賃を差し引けばどうなったかわからないのだ。件の竜神山を合祀して俸給を増やした神主は、牛肉を食ったことがないが、これで牛肉を食うことができるといって大喜びとのこと。こんな例を50ばかり集めてある(東西牟婁郡、すなわち小生の抗議が強く及んだ所だけで)。小生の見聞の及ばない他郡はもっと多いと知っていただきたい。
「南方二書」は『南方熊楠コレクション〈5〉森の思想』 (河出文庫)に所収