全国の神社合祀
さて、木を乱伐し終わり、その乱伐した人々が去ったあとは戦争後のようで、村に木もなく、神森もなく、何もなく、ただただ荒れ果てているだけである。紀州はいたるところ、山林という山林が、多くはこのやり方で荒らされております。
もとより跡へ記を植えつける備えもないので、跡地にススキ、チガヤなどを生ずるのみ。牛羊を牧することすらできない。土石崩壊し、毎年、風災洪水の害を聞かないことはなく、じつに多事多患の地となっており申します。
この地は、地方官公吏が自分の位置を継続しようとしていりもせぬ工事を起こし、村民を苦しめ、いらぬ所にトンネルを通し、車道を造ることは止まらない。
さて、その工事が完成したころは、すでに他にそれよりよい工事ができあがるため、せっかくの骨折りも徒労となり、いたずらに植物の絶滅、岩土の崩壊を見るだけである。慨嘆のいたりでございます。
山林などは国家経済の大体にも関することなので、微生などの智恵の及ぶ所ではないとして、第一に植物保存の点のみから願わしきことは、閣下ら、何とか1日を躊躇せず、合従して徳川頼倫侯に話し(この人は貴族ぶらず、はなはだよい人物で、いかにも度量寛弘、気宇闊達のところがある。小生も在英のとき度々前へ出て酒を飲み、くだをまいた)、
差し当たり当紀伊国は、三好教授の『植学講義』にも見えるように、土は本州ながら、生物帯は熱帯、半熱帯のものが多い、まことに惜しむべき地なので(英国でコーンウォール州、またジャーシー、ガーンゼーのみに、仏国と同様のものがあるように)、学者の一通りに研究がせめて済むま史跡(ことに近年欧州では、キリスト教のために、有史前史跡でまったく屑片しかとどめないのをすら、種々尽力して捜索している。また一国の民が一国を愛するのは、一郷一村の民が一郷一村を愛する心に由るものなので、その一村、一大字、一小字についての民俗 Volkskunde の調べの一通り済むまでの間、なるべく旧慣、土風、屑譚、里伝を保存するよう)、土俗、里風を保存するために、
すでに全県神社の5分の4を合祀し終わり、全国中では合祀励行第2位に位置するこの和歌山県の神社合祀をこの上完全の中止し、またその神社跡(すなわち神森、古墳、古建築の社殿など)は、当分遥拝所として神社同前に尊敬し、従来通り鳥獣竹木を採り、建築付属品を破損することを厳禁し、塚、碑石、灯籠、手水鉢を移動することを禁じ、徐々に中央政府また大学、学会などから人を派遣し、実地を調査することを待つこと、との一事を至急何とか御勧告くださいませんか。
本年6月25日、『大坂毎日』によれば、神社合祀のもっとも励行されたのは、伊勢、熊野(日本でもっとも神社の本尊たる所)で、すなわち、
現存 滅却 現存の社数が合祀前に
存せし社数に対する割分三重 942 5547 1/6.8+ 和歌山 790 2993 1/4.7exactly 愛媛 2027 3349 1/2.6+ 埼玉 3508 3869 1/2.1+ 長野 3834 2997 1/1.2+
長野は全社数の2分の1未満、埼玉は2分の1強、愛媛は3分の1未満に減じているが、和歌山県はほとんど5分の1、三重県はほとんど7分の1に減少しているのだ。
今年のことは知ることができないが、合祀が一向に行なわれない県が多く、たとえば秋田県か青森県は、昨年6月までにわずか4社を減じ、北海道では全道でわずかに14社を減じたと申す。
すなわちこの合祀というものは、各府県が思い思いに行ない、一方では行なわれ、もう一方では行なわれない。古跡また珍生物保護の必要の少ない地でかえって合祀が少なく、古跡と珍生物などが多い地でかえって合祀が多いのを知るべきだ。無茶苦茶である。
「南方二書」は『南方熊楠コレクション〈5〉森の思想』 (河出文庫)に所収