那智山濫伐事件
一
拝啓。先日ハガキ1枚差し上げましたところ、昨朝、岡村金太郎氏から来信があり、当県の植物乱滅の件につき、小生から自在に意見を申し上げれば、必ずお読みくださるだろうとのこと、紹介をしたとのこと、通知がありました。
小生は、これを機会として、植物のみならず、史蹟、名所、またことに風俗、里伝などの保存、分けては愛郷心から推して愛国心を堅固にすることにまで及んだ長い意見書を作り、貴下を経て、大学諸士の一覧を煩わそうと存じていますところ、旧藩君徳川頼倫侯へも1通差し上げ、長いものなので、ちょっと写し終えることができない。
家内に事が多く、小児が病気のため、まずはここ十日ほどかかり申すので、このように申すうちにも、諸神社および神社趾の乱潰が日々に挙行されており(県郡当局はこれを神社整理と称えるけれど、実は風儀破壊、神社不整理を行なうものである)、一刻も早く少々なりとも差し当たり意見を陳述しようと存じ、本状を差し上げ申します。
三好教授その他と御評議の上、徳川侯にも示し合わせ、何とか御処置願い上げ奉ります。ここに記すところは、思い当たることどもを前後混雑して記しつけ申します。
第一に那智山濫伐事件は、すでに『東京朝日』などにも相見えます通り、実に危険極まることで、新宮町の津田長四郎と申す勢力家(実は巨盗のごとき者)は、警察、郡長以下ことごとくをその配下に置く。60歳ほどの、この者は数年前から那智山神官、および色川村など、山の付近の人民をおだてまくり、種々の証拠物を集め、行政裁判所へ那智山下げ渡しのことを訴え出し、最初は農務省の勝訴であったが、さらに証拠を集め、
なお、西牟婁郡長楠見節と申す人から、熊楠は那智山に久しくおり、証拠品をもっとも多く写していると聞き、楠見を経て、小生に右一切の証拠文書を借り出すことを求められる。そのときの状は、今も保存、前年その筋へも出し、また昨年、重要な地位についている役人にも見せました。
別にかまわないことだが、 政府の公吏たる人が、みずから政府に対し、人民方の利益になる文書を集める周旋などするのは、はなはだ如何なことかと存じ申します。この楠見というのは、はなはだしい奸物で、毎回、林の下げ渡しを世話して、賄賂私利を営むと評判が高い。
去年の冬、ついに農務省の敗訴に相成り、山林は那智神社と色川村へ下り、大林区署からはいつ伐木してもかまわないとの許可があったといって、伐りにかかるところを小生が聞き込み、東京の新聞へ出したので、それから大物議となり、県知事も、かねて神林の大濫伐で内外に評判を悪くした罪滅ぼしに、さっそくみずから行って現状を視察し、右の山林を保安林に編入しようと苦心するのを聞き、奸徒らが私訴を起こし、下げ戻し入費など16万円に対する右山林差し押さえ強行公売を提訟し、その当日、急に津田長四郎他3名ばかり(うちに県会議員あり)が書類を調べられ、本月15日、当監獄に未決監に収容され、今だ面会も許されない。当地からは、検事、書記などが14,15日、新宮町へ出張、書類を調査した。
「南方二書」は『南方熊楠コレクション〈5〉森の思想』 (河出文庫)に所収