これにて擱筆
この状、また長くなり尽きるところを知らない。ゆえに、これにて擱筆。何分にも小生ひとりと、何の心得もない新聞かきと、その他は無智無識の農夫漁民だけで今日まで抗争してきたことなので、今、小生が身を引けばたちまち後日学者間に大物議を巻き起こすことは疑いなく、そうはいっても人間、精力、資金にも限りがあるので、この上1年も小生は自家の学事、家内の生計を放棄してまでも尽力することはできない。
神社復旧、神職俸給供助法などのことは来たるべき国会へ、中村啓次郎氏その他を頼み、出し申す予定だが、森林伐採はじつにすぐ目の前に迫っている大事なので(このように申しているうちに、すでに朝来(あっそ)村の、ぬか塚、その他、当郡でも多く伐り尽くされた。ましてや両牟婁郡以外の諸郡では)、なんとか小生の志を憐れみ、御運動の儀、ひとえに願い申し上げ奉ります。再拝。
昨年10月15日『大阪毎日』に、大垣公園に腹の白い老狐が現われ出て、児童に苦しめられているのを、佐久間仁左衛門という者が柵をもって囲い食物を与え、100余円の経費で稲成大明神と崇し奉る、と電報にあった。また昨年2月頃の『大阪毎日』に、東京帝国座で、河上貞奴らが天照大神に扮し岩戸神楽の演劇をやった、とあった(英国にあったとき、故アーヴィン男爵がイエスに扮し芝居をしたが、諸新聞はこれを神聖を汚すものだとし、議論がやかましく、その芝居を改題したことがある)。
みずから侮ると人はこれを侮る。一方では狐を神とし、天照大神の芝居をして、天照大神は別嬪だとか愛嬌が足らないとか鰐足で歩くとかホクロが多いとか評笑させ、そうして一方では、神林と、無数の生物種を滅族させてまで平凡で劣っている無智の神職を存立し、それをもって風教徳義を奨励しようとするのは、一向小生にはわかり申しません。
小生の実際の経験によると、当県至る所で神社合祀を教唆する者は、学識のない神職で、じつに無義不動の徒である。長年それにより衣食してきたにもかかわらず、みずから先に立って神社をつぶし、神木を伐り、小祠を焼き、また川へ流す。こんな者は敵軍が強いときはたちまち内通して敵国のスパイになるような輩である。
これに反して、至る所の小学教員、校長はみな口に出して言わないけれども、内心神社合祀を嫌悪し、昨年小生がこのことで入監のときも、公吏、村吏に憎まれ職を奪われるのを厭わず、多く内々小生の家族に慰問し、未決監へ慰問書を出されました。
この者たちがいずれも多少今日の学問を知り、また多くは村々の郷土誌編纂の主任となる人物で、神々を潰しては到底教化も徳化も知育もできず、土地の人に土地を愛し安住させることもできないことを知り尽くしているのを小生は知っている。(小生は平生は孤独な性質で、小学教員と交わることはない)
日高郡比井崎(ひいさき)は応神天皇誕生の地で,そのとき産湯を沸かした火を保存し、毎戸その火を分かち用いる古俗がある。この社を劣等の社へ合祀しようとする村長を憤り、小学校長の津村という者が騒動を起こし、双方入監し、校長が勝って出監した。
明治44年8月31日
南方熊楠拝
松村任三先生 御座右
「南方二書」は『南方熊楠コレクション〈5〉森の思想』 (河出文庫)に所収