新宮町(しんぐうちょう)
現・和歌山県新宮市。
現・和歌山県新宮市。
南方熊楠の手紙:神社合祀に関する意見(現代語訳9)
43年2月末、郡長がその村の神社関係人一同を郡役所へ招き、無理に合祀の位置を郡長に一任と議決させて、その祝賀といって新宮町の三好屋で大宴会し、酒280余本を飲み一夜で80円使わせて、村民は大不服で合祀承諾書に調印しない。
南方熊楠の手紙:南方二書(現代語訳1)
第一に那智山濫伐事件は、すでに『東京朝日』などにも相見えます通り、実に危険極まることで、新宮町の津田長四郎と申す勢力家(実は巨盗のごとき者)は、警察、郡長以下ことごとくをその配下に置く。60歳ほどの、この者は数年前から那智山神官、および色川村など、山の付近の人民をおだてまくり、種々の証拠物を集め、行政裁判所へ那智山下げ渡しのことを訴え出し、最初は農務省の勝訴であったが、さらに証拠を集め、
南方熊楠の随筆:南方二書(現代語訳15)
すでに当新宮町などでも合祀を断行致し、渡御前社(神武天皇を奉祠し、もっとも民の信行が深い)を始め、矢倉神社、八咫烏神社のような由緒古く、来歴深く、民衆の崇仰がとくに厚かった向きをも、一列一併に速玉神社境内大琴平社と飛鳥社とに合祀してしまっただけでなく、当時矢倉町にあった矢倉神社、船町の石神社、奥山際地にあった今神倉神社(祭神は熊野開祖高倉下命〔たかくらじのみこと〕の御子、天村雲命)などは、すでに公売され、石段は取り崩され、樹木は伐採移植させられ、神聖なる祠宇は子供達のいたずらの場となり、荒涼とした様子でまことに神を傷ましめるものです。
南方熊楠の随筆:南方二書(現代語訳16)
また合祀の最もはなはだしかった三重、和歌山の交界点である新宮町に、大逆事件に最多数(6人)の逆徒を出した。無智の村民でも、召伯の甘棠(かんとう)を伐るに忍びず(※?※)、僧侶の最悪な者でも、甘茶を釈迦に注ぐのを忘れない。それなのに君子は人を愛して屋上の烏に及ぶと言うのに、国祖皇宗神武天皇の社を破壊公売して快しと称するのは、これはすでに官公吏が率先して大危険思想を挙行するものではないだろうか(このことは『東京朝日新聞』へ小生が出し、次いで『万朝』かなんかへも出て、当局は大いに返答に困っていた)。
南方熊楠の随筆:南方二書(現代語訳20)
無学無識何の益もない俗神職の俸給を急に作り上げようとして、このようなものが、かの地この地で失うのは惜しむべきことだ。たとい、これを売り、また焼くにしても、ゆっくりと学者の査定を待って後に行うべきことではありませんか。神職の俸給が上がって政教に何の益もないことは、今日神社合祀すればするほど土地の人が悪くなり、日本第一の多数の官公吏犯罪を当県より出し、また合祀がもっとも励行されて神武帝の社をすら公売して悔いなかった新宮町に、大多数の大逆徒を出したことで知られる。
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