日本書紀(にほんしょき)
日本書紀は、奈良時代に成立した日本の歴史書。六国史の最初のもの。
舎人親王(とねりしんのう)らの撰で、720年(養老4年)に完成。
全30巻。2巻までは神代。3巻以降神武天皇から持統天皇のまで時代までを記しています。漢文、編年体。
書名については、もとは『日本紀』だったとする説と、初めから『日本書紀』だったとする説があります。『日本紀』と『日本書紀』とは別の書であるという説も。
日本書紀は、奈良時代に成立した日本の歴史書。六国史の最初のもの。
舎人親王(とねりしんのう)らの撰で、720年(養老4年)に完成。
全30巻。2巻までは神代。3巻以降神武天皇から持統天皇のまで時代までを記しています。漢文、編年体。
書名については、もとは『日本紀』だったとする説と、初めから『日本書紀』だったとする説があります。『日本紀』と『日本書紀』とは別の書であるという説も。
南方熊楠の手紙:神社合祀に関する意見(現代語訳17)
紀州日高郡産湯(うぶゆ)浦という大字の八幡宮に産湯の井がある。土地の言い伝えに、応神帝降誕のみぎり、この井の水を沸(わ)かしてお洗い申し上げたという。そのとき用いた火を後世まで伝えて消さなかった。村中近年までこの火を分かち、式事に用いた。これは『日本紀』と参照して、かの天皇の御史跡であったことを知るだけではなく、古えわが邦に特に火を重んずる風習があったを知ることができる。実に有記録前の歴史を視るのに大要がある。
南方熊楠の手紙:履歴書(現代語訳1)
『日本紀』の本文に、(1)田心姫(たこりひめ)、(2)湍津姫(たきつひめ)、(3)市杵島姫命(いちきしまひめ:宮島を厳島(いつくしま)というのはこの第三の女神の名に基づくか)
また『日本紀』の一書には 、(1)瀛津島姫(おきつしまひめ)、(2)湍津姫命、(3)田心姫命
また一書には 、(1)市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)、(2)田心姫命、(3)湍津姫命
また一書には 、(1)瀛津島姫命、またの名を市杵島姫命、(2)湍津姫命、(3)田霧姫命(たきりひめのみこと)
とあって、姉妹三神の順序は一定しない。ただし三神の名は変わりない。
南方熊楠の手紙:浄愛と不浄愛,粘菌
の生態,幻像,その他(現代語訳19)
まことに不人情なことで(この点日本人よりは祖先を崇拝し、家系を尊び重んずるかもしれないが)、それを嫌う人々は生存中、他人ながらまことに自分に尽くしてくれた者を見立て、『日本紀』などに見える名代部(なしろべ)のように、自分の苗字をその者の苗字に加え、自分で実の系統は絶えてもせめて苗字だけは、後世へ残れとの執心より(日本ならば松井に南方を加え、中に挟まった2字を省略して、松方とでもすべきところだが、そんな気も付かないのか、旧風を守る一念からか)、シスルトン(金を譲る人の苗字)を譲られる者の苗字の前に置き、今までダイヤー氏であった者が、シスルトン・ダイヤー氏を唱え、子孫代々その複苗字で押し通し、それでこの家は亡シスルトン氏の後を継いだ者、ただし家の出所はダイヤー氏ということを明らかにするのだ。
南方熊楠の随筆:十二支考 虎に関する史話と伝説民俗(その13)
本邦にはあいにく虎がないから外国に渡った勇士でなければ虎で腕試しした者がない。
南方熊楠の随筆:十二支考 虎に関する史話と伝説民俗(その17)
すべて何国でも土や岩や草花など血のように赤いと血を流した蹟とか
南方熊楠の随筆:十二支考 虎に関する史話と伝説民俗(その32)
『日本紀』二四に皇極帝四年四月、
〈
「同学
ともうす〉、
これは虎をトテムとし祀る
南方熊楠の随筆:十二支考 虎に関する史話と伝説民俗(その41)
『日本紀』二四に、
〈
「同学
と〉。
南方熊楠の随筆:十二支考 蛇に関する民俗と伝説(その13)
野槌は最初神の名で、諾冉二尊が日神より前に生むところ、『古事記』に、野神名
南方熊楠の随筆:十二支考 蛇に関する民俗と伝説(その35)
『日本紀』に、
南方熊楠の随筆:十二支考 蛇に関する民俗と伝説(その18)
大物主神は
南方熊楠の随筆:十二支考 馬に関する民俗と伝説(その10)
『日本紀』神代巻に、
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