宗像三神について
大正14年1月31日早朝5時前
矢吹義男様 御侍史
南方熊楠
再拝
拝復。28日付御状を30日朝拝受しました。近頃なぜか郵便が度々遅れて届きます。先日差し上げた拙考案を会社でご採用となったとのこと、寸志が届きまことにありがたく存じております。
あなたのお手紙には第2の考案は三輪の三神とありましたが、それは慌ただしかったための御記憶違いで、これは宗像の三神です(すなわち安芸の宮島の三神と同体です)。念のため詳しく申し上げると、この三神の名は、
『日本紀』の本文に、(1)田心姫(たこりひめ)、(2)湍津姫(たきつひめ)、(3)市杵島姫命(いちきしまひめ:宮島を厳島(いつくしま)というのはこの第三の女神の名に基づくか)
また『日本紀』の一書には 、(1)瀛津島姫(おきつしまひめ)、(2)湍津姫命、(3)田心姫命
また一書には 、(1)市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)、(2)田心姫命、(3)湍津姫命
また一書には 、(1)瀛津島姫命、またの名を市杵島姫命、(2)湍津姫命、(3)田霧姫命(たきりひめのみこと)
とあって、姉妹三神の順序は一定しない。ただし三神の名は変わりない。
『古事記』には、(1)多紀理毘売命(たきりひめのみこと) 、またの御名を奥津島比売命(おきつしまひめのみこと)、(2)市寸島比売命(いちきしまひめのみこと)、またの御名を狭依毘売命(さよりひめのみこと) 、(3)多岐都比売命(たきつひめのみこと)、とあります。
錯列法でいろいろと三神を順序を置き換えたように、種々さまざまに違っています。その上、二神の名を同一とするとあるなど、定まった伝が早くに失われ混交したとわかりますが、とにかく宗像の女工の神はこの三神です。大三輪の神は前の手紙に申し上げた通り、男神大己貴命(おおむなちのみこと)と女神玉櫛姫命(たまぐしひめのみこと)の二神です。これはご採用なかったと承ったので、いま解説する必要はありませんね。
前日、小畔(こあぜ)氏より手紙が来て、 あなたが小生の履歴を求めていて、これを世に公開して同情者に寄付を訴えようと考えてくださっていることを知りました。しかしながら、このようなことはすでに度々友人たち(杉村楚人冠、河東碧梧桐、故福本日南、田中天鐘道人など)がしてくださったことで、それぞれその人々の文集に出ておりますが、さしたる効果もなく、ただこの人々の名文で書いた小生の伝記のようなものを読んで熊楠は奇人だなどと申し伝えられるだけに留まり、まずは浮かれ節(※俗謡※)同様の聞き流しとなります。
大庭柯公が6年ばかり前、『日本及び日本人』に書いたものには、宮武外骨と故小川定明と小生を大正の三奇才兼三奇人とあったと覚えています。また2年ばかり前、田中天鐘(逸平、この人は故塩屋宕陰の孫とのこと)が、『日本及び日本人』に小生を訪問したときの記録を出されていました。それには老子を訪ねたかのような想いを抱いたというようなことが記されていました。これらはいずれも小生を通り一遍に観察した人々のでたらめであって、小生は決してそのような不思議な人間ではありません。左に小生の履歴を申し上げましょう。