ネーチャー、大英博物館
Bronzetti al British Museum / cristianocani
そのときちょうど、『ネーチャー』(ご承知の通り英国で第一の週刊科学雑誌)に天文学上の問題を出した者があったが、誰も答えられる者がなかったのを小生が一見して、下宿の老婆に辞書一冊を借りる。きわめて破損した本でAからQまであって、RからZまでが全く欠けていた。
小生はその辞書を手にして答文を草し、編集人に送ったところ、すぐに『ネーチャー』に掲載されて、『タイムス』以下諸紙に批評が出て大いに名を挙げ、川瀬真孝子(当時の在英国公使)より招待されたこともあったが断った。
これは小生が見るかげもない格好をしてさまよっているうちは日本人として相手にするものがなかったのに、右の答文で名が多少出ると招待するなどはまことに眼の明らかでない者達だと憤ったためである(小生はこの文の出た翌週に当時開きたてのインペルヤル・インスチチュートより夜宴に招かれたのだ)。
この答文の校正刷りを手にして、乞食も呆れるような垢染みたフロックコートでフランクスを訪ねたが(この人は『大英百科全書』11版にその伝記があって、英国にこのような富豪で好学の士がいるのは幸いである、記してある)、少しも小生の服装などを気にかける様子もなく、件の印刷文を校正してくれた上、
辞書に、sketch と outline を異詞同意(シノニム)としている 小生もそのつもりで「星どもが definite sketch を描き成す」とか書いてあるのを見て、これは貴下が外国人ゆえこのような手近なことすらわからない。これは英人に生まれなければわかりがたいことである。シノニムはただかなりの部分似た言葉というほどのことである。決して全く同一の意味というのではない。
sketch は下の猫Aのようで、outline はこの図のようである。definite というのは sketch ではななく outline である。sketch は indefinite であって definite ではない、と教えられた。他の人のことは知らないが、小生などは、外国語を学ぶのに辞書だけをあてにしてこのような間違いが今もはなはだ多い、と自覚している。
大きな銀器にガチョウを丸煮にしたものを出して前に置き、自ら包丁でその肝を取り出し、小生を饗せられた。英国学士会員の老大家であって諸大学の大博士号いやが上に持っているこの70近い老人が、どこの生まれとも知れず、たとえ知れたところが和歌山の小さな鍋屋のせがれと生まれたものが、何の資金も学校席位も持たない、まるで孤児院出の小僧のような当時26歳の小生を、ここまで厚遇されたのはまったく異例のことで、今日初めて学問の尊さを知ったと小生は思い申す。それより、この人の手引きで(他の日本人と違い、日本公使館などの世話を経ずに)ただちに大英博物館に入り、思うままに学問上の便宜を得たことは、今日でもそのような例のないことと存ずる。
大英博物館では主として考古学、人類学および宗教部に出入りし、ただ今も同部長であるサー・チャーレス・ヘルチュルス・リード氏を助け、またことに東洋図書頭サー・ロバート・ダグラス(この人が大正と改元する少し前に40年勤続の後に辞職したのを、世界中の新聞で賞賛が止まず、我が国の諸大新聞でも何のことやらわからずに、誉め立てていた)と、われなんじの交わりをなし、『古今図書集成』などは縦覧禁止であったが、小生に限り自在に持ち出しを許された(『大英博物館日本書籍目録』のダグラス男爵の序に小生の功績を挙げている)。
この大英博物館におよそ6年ほどいた。館員となるようにいろいろすすめられたけれども、人となれば自在ならず、自在なれば人とならずで、自分はいたって勝手千万な男ゆえ辞退して就職せず、ただ館員外の参考人であることにとどまる。その間、抜き書き、あるいは全文を写しとった、日本などでは見られない珍書が500部ばかりあり、中本大の53冊10800ページにわたり、それを綴じた鉄線が次第に錆びるのには、困りきっている。