生きた薬
さて以下はまだ洋人が気づかないらしいから申すが、小生は右の一件から考えるに、どうも世界には生気とでも申すことができる力があるようである。すなわち生きた物には、死んだ物にはない一種の他の物を活かす力があるものと存ぜられる。このことから考えると、今日の医学が大いに進んだと申すわりに薬が効かないのは、薬にこの生気がないことによると存じる。
生きた物に、回りくどい無機物よりも、準備全成の有機物がよく効きまわるのは知れたことで(土の汁を飲むよりも乳の汁を飲む方が早く効くように)、この点から申すならば無論むかしの東西の医者のように、自分で薬草を植え薬木を育てて、その生品を用いるのがいちばん効き申す。
それなのに地代が高くなり生活に暇がなくなってから、むかしの仙人のような悠長なことはできない。ここにおいて薬舗が初めてできる。これが営利を主とする以上は、なるべく多く利を得るがために、生きた物の使い残りを乾かしたり焙ったりなどして貯えておくこととなる。これより薬はさっぱり効かなくなった。
西洋とても同様で、生きた薬を使ったらいちばん効くぐらいのことは知れきったことながら、生活が忙しくなり、無償で薬を仕上げることこともならないとなったところへ、アラビア人がアルコールで薬を浸出することとランビキで薬精を蒸留することを発明したことから、遠隔の国土より諸種の薬剤を持ち渡すには、途中で虫や鼠に損ぜられることが多く、生きた物に比べたらきわめて劣ることを知りながら、与えないよりは効果があるとの考えより、蒸留や浸液(チンキ)をもっぱら用いることとなったのだ。
温泉などはその現場に行って浴すれば大いに効くが、温泉の湯を汲んで来て冷めたやつを煮てから入ったとしてそれほど効かない。これは温泉の湧くうちはラジオ力に富むが、冷めた上は、その力が尽きるためである。それと等しく、薬も乾かしたり焙ったり、またましてや蒸留や浸出して貯え置いては、その効き目をすこぶる減ずることと知り申す。
そのころ、また欧州で空中から窒素を取る発明があったといって、日本で喧伝され、三井、三菱などが、人を派遣してその方法をドイツから買い入れようと勉めているとの評判が高かった。その前に炭酸ソーダほど手近でおびただしく必要なものはなく、その炭酸ソーダは、薬局法などに書いた通りの方法で、一挙にいつでも木炭からできることと我々が14,5歳のときから思っていた。
それなのに、大戦が起こって外国からの輸入が絶えたため、いざ実試とやってみると、これほどのものも日本ではできなかった。だから自国で何の練習もせず、あれも珍しいこれも欲しいと、見る物ごとに外国伝習をあてに致しては、まさかのときには絹のふんどしを締めて相撲に立ち合おうとするようで、思いのほか早く破れてしまうものである。たとえ窒素を空中から取る方法があったとして、高い金を出した相応に本当のことを伝授されるか、限りなく怪しい。