実用
件の紫稍花(ししょうか)は朝鮮産の下等の品が下谷区の売店にある、と白井博士より聞いた。しかし関東大震災後はどうか知らない。小生は山本、岡崎などの頼みを放っておきがたく、東京滞在中日光山に行ったとき、六鵜保氏(当時三井物産の石炭購入部次席)が小生のために大谷(だいや)川に午後1時から5時まで膝まである寒流(摂氏9度)に立ち歩いて、ようやく小瓶にふたつばかり取り集めたのが今ある。
防腐のためフォルマリンに入れたため万一中毒などを起こしては大変なので、そのうちゆっくりとフォルマリンを洗い去りつくして、大年増、中年増、新造、処女、また老婆用と5段に分けて1小包ずつ寄付金をくれた大株連へ分配しようと思う。山本前農相の好みの処女用のは最も難事で、これは琥珀の乳鉢と乳棒で半日もすらなければならないと思う。
植物学よりもこんな話をすると大臣までも大喜びで、これはわかりやすい、なるほど説教の名人だと感心して多額を寄付される。貴殿はお嫌いかもしれないが、このように世間並みに説教申し上げる。このようなよしなしごとを長々書き付けお笑いに入るのもこの学問を建立するためとご憫笑を乞うのだ。
小生が以前に申し残したことだが、三神と船はこんなふうに(※図あり。図は本で見てください。『南方熊楠コレクション〈第4巻〉動と不動のコスモロジー』 (河出文庫) 376頁※〕船が見る者に近くもなく三神が見る者に近くもなく、見る目から同じ近さにある体に描くのが古くからの習慣と存じる。そのようなときは、会社を主とするのでもなく連合会を主とするのでもなく、はなはだ対等でよろしいことと存じる。しかし、今は遅れて事が及ばないのだろう。
小生は他の人々のように、何年何月従何位に叙し、何年何月いずれの国へ派遣されたというような履歴碑文のようなものはない。欧米で出した論文は無数にある。それは人類学、考古学、とくに民俗学、宗教学などの年刊、索引に出ているはずである。帰朝後も『太陽』、『日本及日本人』へは13,4年も続けて寄稿し、また『植物学雑誌』『人類学雑誌』『郷土研究』などへはおびただしく投書したものがあるが、いま並べるには及ばない。
もっとも専門的なのは日本菌譜で、これは極彩色の図に細字の英文で記載を添え、たしかにできた分が3500図あり、これはじつに日本の国宝である。これをいちいち名をつけて出すのに参考書がおびただしく必要で、それを調えるのに基本金がかかることでござる。
また仏国のヴォルニーの言葉に、知識が何の世の用をもなさないこととなると、誰も知識を求めないと申された。我が国によく適用される言葉で、日本の学者は実用の学識を並べて整列しておいて、ことが起こるとすぐ引き出して実用に立てるという備えははなはだ少ない。
友人で趣意書を書いてくれた田中長三郎氏の言葉に、今日の日本の科学は本草学、物産学などいった徳川時代のものよりはるかに劣っているとのことである。これはもっともなことで、何か問うと調べておく調べておくと申すのみ、実用になる答えをしかねる人ばかりである。小生はこの点においてはずいぶん用意いたしており、ずいぶん世間に役立つことができるつもりでござる。
個人としても物を多くよく覚えていても、らちもないことばかり知っただけでは錯雑な字典のようで、何の役にも立たない。それよりは締まりのよい帳面のように、一切の知識を整列しておいて、惚れ薬なり、処女を悦ばす剤料なり、問われたらすぐ間に合わせるような備えが必要でござる。