岡崎邦輔

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  • 岡崎邦輔(おかざき くにすけ)

    岡崎邦輔(1854〜1936)。明治〜昭和期の政治家。
    和歌山県出身。陸奥宗光とは従兄弟で、陸奥宗光の配下として政界で活躍。
    加藤高明内閣では農林大臣をつとめました。

    南方熊楠(1867〜1941)とはアメリカ、ミシガン大学で出会っています。



    岡崎邦輔

    南方熊楠の手紙:履歴書(現代語訳4)
    ここには日本人学生は20人ばかりいた。後には30、40人もいた(粕谷義三、岡崎邦輔、川田鷹、杉山三郊、その他、名士が多い)。ここで小生は大学に入らず、例のごとく自分で書籍を買い標本を集め、もっぱら図書館に行き、広く荒野林中で学んで自然を観察する(そのときの採集品は今もある)。

    南方熊楠の手紙:履歴書(現代語訳29)
    小生は口も筆も鋭く、ずいぶん人を困らせたことの多い男であるけれども、今だまったく人に見捨てられない。一昨々年36年めで上京したとき、旧知の内田康哉伯爵(当時の外務大臣)、岡崎邦輔氏ら、みな多少以前に迷惑をかけたことのある人々だけれども、そのような顔もせず紀州の名物男を保存しようといってそれぞれ出資され、ことに郵船会社の中島滋太郎氏をはじめ、旧友という旧友が等しく力を尽くして寄付金を募り贈られ申した(47円をもって汽車の中で牛乳2本だけを飲んで上り、3万3000円ほど持ち帰り申した)。

    南方熊楠の手紙:浄愛と不浄愛,粘菌の生態,幻像,その他(現代語訳15)
    岡崎邦輔氏からの来信に、小生のごとき政府や役所に何の関係もない無位無勲の者を召され御言葉を再三賜ったのは従前無例とのこと。御臨幸の前に小生は一書を山田の妻(名は信恵〔のぶえ〕)に遣わし、44年前の春、尊女の長兄と小舟を仕立て鉛山(かなやま)温泉へ渡った。

    南方熊楠の随筆:十二支考 馬に関する民俗と伝説(その5)
    上述の月氏国王が謀を馬に洩らしてしいに遭ったり、フリギアや蒙古の王の理髪人が穴に秘密を洩らしたりしたについて想い起すは、アラビヤ人がを埋めた話で、これもその節高木君へ報じたが、その後これについて、政友会の重鎮岡崎邦輔氏が、大いに感服された珍談がある。人をやとうて書き立ててもらおうにも銭がないから、不躾ぶしつけながら自筆で自慢譚とする。

    南方熊楠の随筆:十二支考 馬に関する民俗と伝説(その6)
    上述の月氏国王が謀を馬に洩らしてしいに遭ったり、フリギアや蒙古の王の理髪人が穴に秘密を洩らしたりしたについて想い起すは、アラビヤ人がを埋めた話で、これもその節高木君へ報じたが、その後これについて、政友会の重鎮岡崎邦輔氏が、大いに感服された珍談がある。人をやとうて書き立ててもらおうにも銭がないから、不躾ぶしつけながら自筆で自慢譚とする。


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