(伝説一6)
だが古今東西情は兄弟なれば、かく博く雑多の事を取り入れて書いた物を、かくまで多くの学者が立ち替り入れ替り研究して出す物どもを読むは、取りも直さず古今東西の人情と世態の同異変遷を研究するに当るらしいので、相変らず遣り続け居る内には多少得るところなきにあらず。既に一昨年末アッケルマンてふ学者が『ロメオとジュリエ』の「一の火は他の火を滅す」なる語は、英国に
沙翁はこれらに基づいて
そのごとく此方より腹を立て掛かれば人の腹は立ちやむものなりとあるを引き居る。今も熊野で山火事にわざと火を放って火を防ぐ法がある。予は沙翁がこれら日本の故事を聞き知ってかの語を作ったと思わぬが、同様の考案が万里を
英語で
『説郛』三一にある『戊辰雑抄』に、昔大竜大湖の
その後一九一五年版ガスターの『
爾時
ガスターこれを註していわく、このような伝説が西欧と英国にもあったに相違ない、そうなくては、竜の蠅てふ英語は何の訳か分らぬ、想うにこの神魔軍の物語に、以前は神軍より聖ジョージ、魔軍より毒竜進み出で大立廻りを演じ、両軍鳴りを鎮めて見物し竜ついに負けたてふ一節があって、その竜が蜻と
熊楠