(民)
(付) 白馬節会について
白馬を貴ぶ例諸邦に多し。漢高祖白馬を斬りて盟 いし事『史記』に見ゆ。古インドにも、白馬を牲するは王者に限りしと記憶す。『仏本行集経』巻四九いわく、仏前生鶏尸馬王たり、〈身体白浄、独り珂雪 のごとし、また白銀のごとし、浄満月のごとし〉、この馬王、多くの商人が羅刹女 の難に遇うを救いし話、『宇治拾遺』にも載せたり。
『大薩遮尼乾子受記経』巻三にも、転輪聖王の馬宝は、〈色白く彼牟頭華のごとし、身体正足、心性柔 、一日三遍閻浮提を行ず、疲労想なし〉とあり、古インド人白馬を尊べるを知るべし。
マルコ・ポロいわく、元世祖上都に万余の純白馬を畜 い、その牝の乳汁を自身と皇族のみ飲む、ほかにホリアッド族、かつてその祖父成吉思汗 を援 けて殊勲ありつれば白馬乳を用うる特典を得たりと、ユール註に、当時元日に白馬を貢献したるなり、この風康煕 帝の世まで行われつ、チムコウスキは、諸蒙古酋長が白馬白駝を清 廷に貢する常例十九世紀まで存せりと言えりと(Yule,‘The Book of Ser Marco Polo,’1871, Bk. i, ch. lxi)。
同書二巻十五章、元日の条にいわく、この日皇帝以下貴賤男女皆白色を衣 る、白を多祥として年中幸福を享 けんと冀 うに因る。また相 遣 るに白色の諸品を以てす。この日諸国より十万以上の美なる白馬を盛飾して奉ると。
ラムシオの『紀行彙函』に収めたるマルコの紀行には「多大の馬を奉る、その馬あるいは全身白く、あるいは体の諸部多く白きものに限る。九の数を尚ぶ故、一県より九九八十一疋の白馬を奉る」とあり。日と馬の数こそ和漢の白馬節会と異なれ、その事甚だこれに近し。
さて『公事根源 』に、白馬の節会を、あるいは青馬の節会とも申すなり、その故は、馬は陽の獣なり、青は春の色なり、これに依って、正月七日に青馬を見れば、年中の邪気を除くという本文あり、(中略)天武天皇十年正月七日に、御門 小安殿におわしまして宴会の儀あり、これや七日の節会の始めなるべからんといえり、『日本紀』二十九の本文には白馬の事見えず。
白馬を「あおうま」とのみ訓 みしは、『平兼盛家集』に「ふる雪に色もかはらで曳 くものを、たれ青馬と名 け初 けん」、高橋宗直の『筵響録』巻下に室町家前後諸士涅歯 の事を述べて、白歯者と書いて「アオハ者」と訓ず、白馬を「アオ馬」というがごとしといえるにて知るべし。
すべて色は温度電力等と違い、数度もて精しく測定し得ず、したがって常人はもとより、学者といえども、見る処甚だ同じからず、予この十二年間、数千の菌類を紀伊で採り、彩画記載せるを閲するに、同一の色を種々異様に録せる例甚だ多し。
これ予のみならず、友人グリェルマ・リスター女の『粘菌図譜』、昨年新版を贈り来れるを見るに、Diderma Subdictyospermum の胞嚢は雪白と明記され、D. niveum も、種名通り雪白なるべきに、図版には両 ながら淡青に彩しあり。されば古え色を別つ事すこぶる疎略にて、淡き諸色をすべて白色といいし由 L. Geiger,‘Zur Entwicklungsgeschichte der Menschheit,’S. 45-60. 等に論じたり。
高山の雪上の物影は、快晴の日紫に見ゆる故、支那で濃紫色を雪青と名づくと説きし人あり(A. Sangin, Nature, Feb. 22, 1906, p. 390)、紫を青と混じての名なり、光線の具合で白が青く見ゆるは、西京辺の白粉多く塗れる女等にしばしば例あり、かかる訳にて、白馬を青馬と呼ぶに至りしなるべし。
白馬を貴ぶ例諸邦に多し。漢高祖白馬を斬りて
『大薩遮尼乾子受記経』巻三にも、転輪聖王の馬宝は、〈色白く彼牟頭華のごとし、身体正足、心性
マルコ・ポロいわく、元世祖上都に万余の純白馬を
同書二巻十五章、元日の条にいわく、この日皇帝以下貴賤男女皆白色を
ラムシオの『紀行彙函』に収めたるマルコの紀行には「多大の馬を奉る、その馬あるいは全身白く、あるいは体の諸部多く白きものに限る。九の数を尚ぶ故、一県より九九八十一疋の白馬を奉る」とあり。日と馬の数こそ和漢の白馬節会と異なれ、その事甚だこれに近し。
さて『
白馬を「あおうま」とのみ
すべて色は温度電力等と違い、数度もて精しく測定し得ず、したがって常人はもとより、学者といえども、見る処甚だ同じからず、予この十二年間、数千の菌類を紀伊で採り、彩画記載せるを閲するに、同一の色を種々異様に録せる例甚だ多し。
これ予のみならず、友人グリェルマ・リスター女の『粘菌図譜』、昨年新版を贈り来れるを見るに、Diderma Subdictyospermum の胞嚢は雪白と明記され、D. niveum も、種名通り雪白なるべきに、図版には
高山の雪上の物影は、快晴の日紫に見ゆる故、支那で濃紫色を雪青と名づくと説きし人あり(A. Sangin, Nature, Feb. 22, 1906, p. 390)、紫を青と混じての名なり、光線の具合で白が青く見ゆるは、西京辺の白粉多く塗れる女等にしばしば例あり、かかる訳にて、白馬を青馬と呼ぶに至りしなるべし。
底本:「十二支考(上)」岩波文庫、岩波書店
1994(平成6)年1月17日第1刷
1997(平成9)年10月6日第10刷
底本の親本:「南方熊楠全集 第一・二巻」乾元社
1951(昭和26)年
※底本は、物を数える際に用いる「ヶ」(区点番号5-86)を大振りにつくっています。
入力:小林繁雄
校正:かとうかおり
2006年1月31日作成
青空文庫作成ファイル:
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●表記について
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- この作品には、JIS X 0213にない、以下の文字が用いられています。(数字は、底本中の出現「ページ-行」数。)これらの文字は本文内では「※[#…]」の形で示しました。
「火+(嚼−口)」 | 326-10 | |
「革+巴」 | 344-9、344-11、394-6 | |
「栩のつくり+句」 | 354-8 | |
「足へん+奇」 | 354-8 | |
「馬/廾」 | 354-8 | |
「馬+(「堊」の「王」に代えて「田」)」 | 358-5 | |
「(「黄」の正字、)+主」 | 368-3 | |
「りっしんべん+龍」 | 383-2 | |
「りっしんべん+(「戸」の正字/犬)」 | 383-2 | |
「風にょう+良」 | 391-3 | |
「木+倍のつくり」 | 416-11、416-12、416-13、416-14、416-14 | |
「馬+巨」 | 424-15 | |
「馬+墟のつくり」 | 424-15、424-15 | |
「寨」の「木」に代えて「禾」 | 441-1 | |
「日/免」 | 455-9 |