宇治拾遺物語

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    宇治拾遺物語は、鎌倉時代、13世紀前半頃に成立した説話集。作者未詳。
    197の説話が分類されずに雑然と収められています。
    仏教説話もありますが、滑稽談や民話など、多彩な内容。
    宇治拾遺物語集』と同じ説話が83話あります。



    宇治拾遺物語

    南方熊楠の手紙:"南方マンダラ",「不思議」について,その他(現代語訳3)
    その上がり高が多いといって、寺の料物で法律稽古に上京していた(寺料を私用して銅湯を呑まされ、またナマズになった話が『宇治拾遺』に出ている。西洋にもこのようなことを多く伝える)。

    南方熊楠の随筆:易の占いして金取り出だしたること
    「易の占いしてこがね取り出だしたること」と題して『宇治拾遺』に出た話は、旅人が大きな荒れ家に宿を求むると、内には女一人しかないらしく、快くとめてくれた。夜あけて物食いに出掛けると、かの女が君は出で行くわけにゆかぬ、留まれ、と言った。

    南方熊楠の随筆:易の占いして金取り出だしたること
    これら仏教譚よりもずっと『宇治拾遺』や『国史補遺』の談に近いのは袁天綱の伝にある。皆人の知る通り、天綱は唐一代の占術の達人で、よく前後五百年のことを知った。その妻が後世子孫の栄枯を占い言えと勧めたので、占うと十代めの孫はきわめて貧乏と判った。妻がそれを救う法ありやと問うたから、また占うて、某の年月日に本府の太守[#「太守」は底本では「大守」]うつばりが落つる厄にあうべしと知った。


    南方熊楠の随筆:十二支考 虎に関する史話と伝説民俗(その13)
    本邦にはあいにく虎がないから外国に渡った勇士でなければ虎で腕試しした者がない。膳臣巴提便かしわでのおみはすひ(『日本紀』)、壱岐守宗于いきのかみむねゆきが郎等(『宇治拾遺』)、加藤清正(『常山紀談』)、そのほか捜さばまだ多少あるべし。

    南方熊楠の随筆:十二支考 虎に関する史話と伝説民俗(その28

    かつて予が『太陽』に載せた猫一疋より大富となった次第また『宇治拾遺』の藁一筋あぶ一疋から大家の主人に出世した物語なども逓累譚を基として組み上げた物だ。

    南方熊楠の随筆:十二支考 馬に関する民俗と伝説(その16)
    『根本説一切有部毘奈耶』に、天馬婆羅訶ばらか海より出て岸辺の香稲を食う。この馬五百商人を尾とたてがみに取り着かせ海を渡りてその難を脱れしめたとある。話の和訳は『今昔物語』や『宇治拾遺』にづ。『大乗荘厳宝王経』にこの聖馬王は観音の化身とある。

    南方熊楠の随筆:十二支考 馬に関する民俗と伝説(その22)
    白馬を貴ぶ例諸邦に多し。漢高祖白馬を斬りてちかいし事『史記』に見ゆ。古インドにも、白馬を牲するは王者に限りしと記憶す。『仏本行集経』巻四九いわく、仏前生鶏尸馬王たり、〈身体白浄、独り珂雪かせつのごとし、また白銀のごとし、浄満月のごとし〉、この馬王、多くの商人が羅刹女らせつにょの難に遇うを救いし話、『宇治拾遺』にも載せたり。


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