(史話4)
一八五一年スリーマン大佐曰く数年前ウーズ王の臣騎馬で河岸を通り三疋の獣が水飲みに来るを見ると、二疋は疑いなく幼い狼だが一疋は狼でなかった、直ちに突前して捉え見ると驚くべし、その一疋は小さき裸の男児で、四肢で行き膝と肘が贅に固まりいた、烈しくもがく奴をついに擒ってルクノーに伴れ行き畜うたが、全く言語せず才智狗同前で手真似や身ぶりで人意を悟る事敏かった、大佐また曰く今一児狼群中より捉え来られたのは久しき間強き狼臭が脱けず、捉えられて後三疋の狼来て子細に吟味した後その児少しも惧れずともに戯れた、数夜後には六疋尋ねて来た、もとかの児と同夥と見えると、またマクス・ミュラーの説にチャンズールの収税吏が河辺で大きな牝狼が穴から出ると三疋の狼子と一人の小児が随いて行くを見て捕えんとすると狼子の斉しく四肢で走り母狼に随い皆穴に入った、土民集まり土を掘ってかの児を獲たが、穴さえ見れば這入らんとす、大人を見て憚る色あったが小児を見れば躍び付いて咬もうとした、煮た肉を嫌い生肉と骨を好み犬のごとく手で押えいた、言語を教えるも呻吟ばかりだった、この児のち英人ニコレツ大尉の監督で養われたが生肉を嗜む事甚だしく一度に羊児半分を食った、衣を着ず綿入れた蒲団を寒夜の禦ぎに遣ると破ってその一部分を嚥んでしまったが一八五〇年九月死去した、生存中笑った事なく誰を好くとも見えず何を聞くも解らぬごとし、捕われた時九歳ほどらしく三年して死んだ、毎も四這だが希に直立し言語せず餓える時は口に指した。
ミュラーこのほか狼に養われた児の譚を多く挙げて結論に、すべて狼に養われた児は言語わぬらしい、古エジプト王やフレリック二世ジェームス四世それからインドの一莫臥爾帝いずれも嬰児を独り閉じ籠めて養いどんな語を発するかを試したというが、今日そんな酷い事は出来ず、人の言語は天賦で自ずから出来るか、他より伝習して始めて成るかを判ずるにこれら狼に養われた児輩に拠るのほかないと言った、さて人の児がどうして狼に乳育さるるにんだかてふ問題をポール解いて次の通り述べた。曰くたとえば一中の一狼が生きながら人児を捉え帰り今一狼は一羊を捉え帰るに、その羊肉のみで当分腹を充たすに足る時は人児は無益に殺されず、その間牝狼の乳を吸いそのまま狼の一族と認められたのだろう、また一層もっともらしき解説は狼その子を失い乳房腫れ脹るるより人児を窃み来って吸わせ自然にこれを愛育したのだろう、また奇態な事は従来男児に限って狼に養われたらしいと。
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「虎に関する史話と伝説民俗」は『十二支考〈上〉』 (岩波文庫)に所収