虎に関する史話と伝説民俗(その10)

虎に関する史話と伝説民俗インデックス

  • (一)名義の事
  • (二)虎の記載概略
  • (三)虎と人や他の獣との関係
  • (四)史話
  • (五)仏教譚
  • (六)虎に関する信念
  • (七)虎に関する民俗
  • (付)狼が人の子を育つること
  • (付)虎が人に方術を教えた事

  • (史話3)

     わが国で寅年に生れた男女に於菟おとという名を付ける例がしばしばある、その由来は『左伝』に楚の若敖じゃくごう※(「云+おおざと」、第4水準2-90-7)うんより妻を娶り闘伯比を生む、若敖卒してのち母と共に※(「云+おおざと」、第4水準2-90-7)やしなわるる間※(「云+おおざと」、第4水準2-90-7)子の女に淫し令尹れいいん子文を生んだ、※(「云+おおざと」、第4水準2-90-7)の夫人これを夢中にてしむると、虎が自分の乳で子文を育った、※(「云+おおざと」、第4水準2-90-7)かりして見付け惧れ帰ると夫人実を以て告げ、ついに収めて育った、楚人乳をこう虎を於菟という、因って子文の幼名を闘穀於菟とうこうおとすなわち闘氏の子で虎の乳で育った者といったと見ゆ。

    ロメーンスの『動物知慧論アニマル・インテリジェンス』に猫が他の猫を養い甚だしきは鼠をすら乳する事を載せ、貝原益軒も猫は邪気多きものだが他の猫のみなしごをも己れの子同様に育つるは博愛だと言った。虎も猫の近類だから時として人や他の獣類の子を乳育せぬとも限らぬであろう。

    参考のため狼が人の子を乳育する事について述べよう。誰も知るごとくローマの始祖ロムルス兄弟は生れてほどなく川へ流され、パラチン山の麓に打ち上げられたところへ牝狼来て乳育したと言い伝う。後世これを解くにその説区々まちまちで、中にはローマで牝狼をも下等娼妓をも同名で呼んだから実は下等の売淫女に養育されたんだと言った人もある、それはそれとしておき狼が人児を養うた例はインドや欧州等に実際あるらしい、一八八〇年版ポールの『印度藪榛生活ジャングル・ライフ・イン・インジア』四五七頁以下に詳論しある故少々引用しよう。 曰くインドで狼が人子を乳した例ウーズ州に最も多い、しかしてこの州がインド中で最も狼害の多い所でまず平均年々百人は狼にわる。

    スリーマン大佐の経験譚によればその辺で年々小児が狼に食わるる数多きは狼窟の辺で啖われた小児の体に親が付け置いた黄金きんの飾具をあつめて渡世とする人があるので知れる、その人々は生計上から狼を勦滅とりつくすを好まぬという。一八七二年の末セカンドラ孤児院報告に十歳ほどの男児が狼※(「穴かんむり/果」、第3水準1-89-51)よりふすべ出された事を載せた。どれほど長く狼と共に棲んだか解らぬが、四肢であるく事上手なと生肉を嗜むところから見ると習慣の久しきほとんど天性と成したと見える、孤児院に養われて後も若き狗様いぬよううなるなど獣ごとき点多しと載せた。

    また一八七二年ミネプリ辺で猟師が狼※(「穴かんむり/果」、第3水準1-89-51)から燻べ出しきずだらけのまま件の孤児院に伴れ来た児は動作全く野獣で水を飲む様狗にかわらず、別けて骨と生肉を好み食う、常に他の孤児と一所に居らず暗き隅にかくる、衣を着せると細かく裂いて糸としおわる、数月院にあって熱病に罹り食事を絶って死した。今一人※(「穴かんむり/果」、第3水準1-89-51)より得狼られこの院に六年ばかりある児は年十三、四なるべし、種々の声を発し得るが談話は出来ず喜怒はく他人に解らせ得、時として少しく仕事をするが食う方が大好きだ、追々生肉を好まぬようになったが今なお骨を拾うて歯をぐ、これら狼※(「云+おおざと」、第4水準2-90-7)から出た児が四肢で巧く歩くは驚くべきもので、物を食う前に必ずこれを嗅ぎ試むとある。

    著者ポール氏自らかの孤児院に往きてその一人を延見ひきみしに普通の白痴児の容体で額低く歯やや動作軽噪時々歯を鳴らし下顎ひきつる、室に入り来てまず四周ぐるりと人々を見廻し地板ゆかいたに坐り両掌を地板にせ、また諸方に伸ばして紙や麪包パン小片かけを拾い嗅ぐ事猴のごとし、この児痩形やせがたにて十五歳ばかりこの院に九年めり、初めはどこにも独り行き得なんだがこの頃(一八七四年)は多少行き得、仕事をさせるに他が番せねばたちまちやめる癖あり、最も著しき一事はその前肢甚だ短き事でこれは長く四ツ這いのみしあるきしに因るだろうという、最初この児捕われた時一牝狼のしかばねとその子二疋とともに裁判庁へきたる、全く四肢であるき万事獣とかわらず、煮た物を一切食わず、生肉は何程いかほども啖う、その両脚を直にするため数月間土人用の寝牀に縛り付けて後ようやく直立するに及べり、今一人狼※(「穴かんむり/果」、第3水準1-89-51)より燻べ出された児は年はるかにわかかったが夜分ややもすれば藪に逃げ入りて骨を捜し這いあるく、犬の子のごとく悲吟するほか音声を発せず、これらの二児相憐愛し長者少者にコップより水飲む事を教えた、この少者わずかに四ヶ月この院にあったその間ヒンズー人しばしば来てこれを礼拝し、かくすればその一族狼害を免がると言った。

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    「虎に関する史話と伝説民俗」は『十二支考〈上〉』 (岩波文庫)に所収

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