(虎の記載概略1)
(二) 虎の記載概略
虎の記載を学術上七面倒に書くより『本草綱目』に引いた『格物論』(唐代の物という)を又引するが一番手軽うて解りやすい。いわく虎は山獣の君なり、状猫のごとくにて大きさ牛のごとく黄質黒章、鋸牙鉤爪鬚健にして尖り舌大きさ掌のごとく倒に刺を生ず、項短く鼻る、これまでは誠に文簡にして写生の妙を極め居る。さてそれから追々支那人流の法螺を吹き出していわく、夜視るに一目は光を放ち、一目は物を看る、声吼ゆる事雷のごとく風従って生じ百獣震え恐るとある。
しかし全くの虚譚でもないらしく思わるるは予闇室に猫を閉じ籠めて毎度験すと、こちらの見ようと、またあちらの向きようで一目強く光を放ち、他の目はなきがごとく暗い事がしばしばあった。また虎嘯けば風生ずとか風は虎に従うとかいうは、支那の暦に立秋虎始めて嘯くとあるごとく、秋風吹く頃より専ら嘯く故虎が鳴くのと風が吹くのと同時に起る例が至って多いのだろう。
予が現住する田辺の船頭大波に逢うとオイオイオイと
連呼くれば鎮まるといい、町内の男子暴風吹き荒むと大声挙げて風を制止する俗習がある。両ながら予その場に臨んで験したが波風が呼声を聞いて停止するでなく、人が風波のやむまで呼び続けるのだった。
バッチの『埃及諸神譜』に古エジプト人狗頭猴を暁の精とし日が地平より昇りおわればこの猴に化すと信じた。実はこの猴アフリカの林中に多く棲み日の出前ごとに喧噪呼号するを暁の精が旭を歓迎頌讃すと心得たからだと出づ。これも猴に呼ばれて旭が出るでなく旭が出掛かるによって猴が騒ぐのだ。
さて虎も獅も同じく猫属の獣で外貌は大いに差うが骨骼や爪や歯牙は余り違わぬ、毛と皮が大いに異なるのだ。ただし虎の髑髏を獅のと較べると獅の鼻梁と上顎骨が一線を成して額骨と画れ居るに虎の鼻梁は上顎骨よりも高く額骨に突き上り居る、獅は最大いなるもの鼻尖から尾の端まで十フィート六インチなるに虎は十一フィートに達するがある由。
インドや南アジア諸島の虎は毛短く滑らかで色深く章条鮮やかなるに、北支那やシベリア等寒地に棲むものは毛長く色淡し、虎の産地はアジアに限りアムール州を最北限、スマトラ、ジャワとバリを最南限とし、東は樺太、西は土領ジョルジアに達すれど日本およびセイロン、ボルネオ等諸島にこれなし、インドの虎は専ら牛鹿野猪孔雀を食いまた蛙や他の小猛獣をも食い往々人を啖う。創を受けまた究迫さるるにあらざれば人と争闘せず。
毎も人を食う奴は勢竭き歯弱れる老虎で村落近く棲み野獣よりも人を捉うるを便とす、草野と沼沢に棲む事多きも林中にも住み、また古建築の廃址に居るを好く、水を泳ぐが上手で急がぬ時は前足もて浅深を試みて後渡る。
虎ごとに章条異なり、また一疋の体で左右異なるもある。『淵鑑類函』巻四二九に虎骨甚だ異なり、咫尺浅草といえども能く身伏して露われず、その然声を作すに及んではすなわち巍然として大なりとある。
動物園や博物館で見ると虎ほど目に立つ物はないようだが、実際野に伏す時は草葉やその蔭を虎の章条と混じやすくて目立たず、わずかに低く薄く生えた叢の上に伏すもなお見分けにくい、それを支那人が誤って骨があるいは伸び脹れあるいは縮小して虎の身が大小変化するとしたんだ。
バルフォールの『印度事彙』に人あり孕んだ牝虎を十七疋まで銃殺し剖いて見ると必ず腹に四児を持っていた。しかるに生まれて最幼き児が三疋より多く母に伴れられ居るを見ず、自分で餌を覓るほど長じた児が二疋より多く母に偕われ居るを見なんだ。因って想うに四疋孕んでその内一、二疋は必ず死んで産まるるんだろう。
インド土人いわく虎子を生まばきっとその一疋は父虎に食わると、ロメーンスの説に猫甚く子を愛するの余り、人がむやみにその子に触るを見ると自分で自分の子を食ってしまうとあった。予本邦の猫についてその事実たることを目撃した。虎も四疋生みながら、一、二疋足手纏いになり過ぎるので食ってしまうのかも知れぬ。虎一生一乳、乳必双虎と『類函』にも見ゆ、また人これに遇うもの敵勢を作ししばしば引いて曲路に至りすなわち避け去るべし。
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「虎に関する史話と伝説民俗」は『十二支考〈上〉』 (岩波文庫)に所収