(虎の記載概略2)
けだし虎頂短くて回顧する能わず直行する故なりとある、これも事実らしい。ウットの『博物画譜』に虎道傍にあって餌獣の至るを俟つに必ず自分の巣に対せる側においてす。これ獣を捉えて真直ぐに巣に行かんためで、もし巣の側にあって餌を捉えたら真直ぐに遠い向側に進み、それから身を廻して道を横ぎり元の巣の側へ還る迂路を取らねばならぬからだ。
また虎が餌獣を打たんとて跳びついて仕損じたら周章て慙愧り二度試みて見ずに低頭して去るとある。支那にも『本草』にその物を搏つや三たび躍って中らずんばすなわちこれを捨つと出づ。川柳に「三たび口説いて聴かれず身退く振られ客」とあるごとし、『爾雅』に虎の浅毛なるを山、白いのを※[#「彪」の「彡」に代えて「甘」、12-15]、黒きを※[#「彪」の「彡」に代えて「夂/黒の旧字」、12-15]、虎に似て五指のを、虎に似て真でないを彪、虎に似て角あるを※[#「厂+虎」、12-16]というと言って、むつかしい文字ばかり列べ居る。
『国史補』には四指のを天虎五指のを人虎と俗称すと出づ。ちょっと聞くと誠に出任せな譫語のようだが実は支那に古来虎多く、その民また特に虎に注意して色々と区別を付ける事あたかもわが邦で鷹や馬に色々種別を立てたごとし。サモエデスは馴鹿に注意深き余りその灰褐色の浅深を十一、二の別名で言い分け、アフリカのヘレロ人は盛んに牧牛に勤め牛の毛色を言い分くる語すこぶる多く、芝や空の色を一つの語で混じ言うを何とも思わぬが牛の褐色を種別して言い能わぬ者を大痴とす(ラッツェル『人類史』巻一)。
田辺の漁夫は大きさに
準って鰤を「つはだ、いなだ、はまち、めじろ、ぶり」と即座に言い別くる。しかるに綿羊と山羊の見分けが出来ぬ。開明を以て誇る英米人が兄弟をブラザー姉妹をシスターと言うて、兄と弟、姉と妹をそれぞれ手軽く言い顕す語がないのでアフリカ行の宣教師が聖書を講ずる際、某人は某人のブラザーだと説くと、黒人がそれは兄か弟かと問い返し返答に毎々困るというが(ラッツェル『人類史』二)、予もイタリア書に甥も孫もニポテとあるを見るごとにどっちか分らず大いに面喫う事である。
『本草』に虎が狗を食えば酔う狗は虎の酒だ、また虎は羊の角を焼いた煙を忌みその臭を悪んで逃げ去る、また人や諸獣に勝つが蝟に制せらるとある。
佐藤成裕の『中陵漫録』二に虎狗を好み狗赤小豆を好み猫天蓼を好み狐焼鼠を好み猩桃を好み鼠蕎麦を好み雉子胡麻を好み、虎狗を食して淫を起し狗赤小豆を食して百疾を癒し猫天蓼をうてしきりに接る、狐焼鼠を見て命を失う猩桃を得て空に擲つ、鼠蕎麦に就いて去る事を知らず、雉子胡麻を食して毎朝来ると見ゆ。
皆まで嘘でなかろう、虎が蝟に制せらるるは昨今聞かぬが豪猪を搏つとてその刺に犯され致命傷を受くる事は近年も聞くところだ。
『物類相感志』に虎が人を食うごとに耳上に欠痕もしくは割裂を生ずる、その数を験して何人食ったと判るとある。また『淵鑑類函』に〈虎小児を食わず、児痴にして虎の懼るべきを知らず、故に食わず、また酔人を食わず、必ず坐して守り以てその醒むるを俟つ、その醒むるを俟つにあらず、その懼るるを俟つなり〉とある、自分を懼れぬ者を食わぬのだ。
さていわく〈およそ男子を食う必ず勢より起る、婦人は必ず乳より起る、ただ婦人の陰を食わず〉とは大椿件だ。十六世紀にレオ・アフリカヌスが著した『亜非利加紀行』に婦女山中で獅に出会うた時その陰を露せばたちまち眼を低うして去るとある。これは邪視を避くるに女陰を以てすると同一の迷信から出たらしい。邪視の詳しき事は、『東京人類学会雑誌』二七八号二九二頁以下に長く述べ置いた、ただし支那説は虎が女陰を食わぬばかりで、見たら逃げるとないからアフリカの獅のごとくこれを怖るるでなく単にその臭味を忌む事という意味らしい。
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「虎に関する史話と伝説民俗」は『十二支考〈上〉』 (岩波文庫)に所収