(虎に関する民俗1)
(七) 虎に関する民俗
前条には信念と題して主に虎を神また使い物として崇拝する事を述べたが、ここには民俗てふ広い名の下に虎に係る俗信、俗説、俗習を手当り次第序べよう。まず支那等で虎の体の諸部を薬に用ゆる事は一月初めの『日本及日本人』へ出したが、少しく追加するとインドのマラワルの俗信に虎の左の肩尖の上に毛生えぬ小点あり、そこの皮また骨を取り置きて嘗め含むと胃熱を治す、また虎肉はインド人が不可療の難病とする痘瘡唯一の妙剤だと(ヴィンツェンツォ・マリア『東方遊記』)。
安南の俗信に虎骨ありて時候に従い場処を変える、この骨をワイと名づく、虎ごとにあるでなく、最も強い虎ばかりにある、これを帯びると弱った人も強く心確かになる、因って争うてこれを求むとあるが(ラント『安南民俗迷信記』)、ワイは支那字威で、威骨とて虎の肩に浮き居る小さき骨で佩れば威を増すとてインドでも貴ぶ(『日本及日本人』新年号(大正三年)二三三頁を見よ)。
安南人また信ず、虎鬚有毒ゆえ虎殺せば鬚を焼き失う習いだ。これを灰に焼いて服ますとその人咳を病む、しかし死ぬほどの事なし。もし大毒を調えんとなら、虎鬚一本を筍に刺し置くと鬚がに化ける。その毛また糞を灰に焼いて敵に服ませるとたちまち死ぬと。
安南人また信ず虎王白くて人を啖わず、神山に隠れ棲む処へ子分ども諸獣肉を献上す、また王でなく白くもない尋常の虎で人を啖わずいわば虎中の仙人比丘で神力あり人を食うほど餓うればむしろ土を食うのがある。これをオンコプと名づく。その他人を何の斟酌なく搏ち襲う虎をコンベオと名づけ人また何の遠慮なくこれを撃ち殺す、しかし虎が網に罹ったり機に落ちたりして即座にオンコプだかコンベオだか判りにくい事が多いから、そんな時は何の差別なく殺しおわる。
虎は安南語を解し林中にあって人が己れの噂するを聞くという。因って虎を慰め悼む詞を懸けながら近寄り虎が耳を傾け居る隙を見澄まし殺すのだ。また伝うるは虎に食わるるは前世からの因果で遁れ得ない、すなわち前生に虎肉を食ったかまた前身犬や豚だった者を閻魔王がその悪む家へ生まれさせたんだ。だからして虎は人を襲うに今度は誰を食うとちゃんと目算が立ちおり、その者現に家にありやと考えもし疑わしくば木枝を空中に擲て、その向う処を見て占うという。
カンボジア人言うは虎栖より出る時、何気なく尾が廻る、その尖を見て向う所を占う(アイモニエー『柬埔寨人風俗迷信記』)。虎はなかなか占いが好きで自ら占うのみならず、人にも聞いた例、『捜神後記』に曰く、丹陽の沈宗卜を業とす、たちまち一人皮袴を著乗馬し従者一人添い来って卜を請う、西に去って食を覓めんか東に求めんかと問うたんで、宗卦を作し東に向えと告げた。
その人水を乞うて飲むとて口を甌中に着け牛が飲むごとし。宗の家を出て東に百余歩行くと、従者と馬と皆虎となりこれより虎暴非常と。『梁典』に曰く、〈斉の沈僧照かつて校猟し中道にして還る、曰く、国家に辺事あり、すべからく処分すべしと。問う、何を以てこれを知ると、曰く、さきに南山の虎嘯を聞きて知るのみと、俄に使至る〉。これは人が虎嘯くを聞いて国事を卜うたのだ。
防州でクマオに向って旅立ちすると知って出たら殺され知らずに出たら怪我するとてその日を避ける。船乗り殊に忌む。クマオは子辰申の日が北でそれから順次右へ廻る。その日中に帰るならクマオに向い往くも構わぬという(大正二年十二月『郷土研究』六二七頁)。このクマオも熊尾で上述の虎同様熊が短き尾を以て行くべき処を卜うてふ伝説でもあるのか、また西洋で北斗を大熊星というからその廻るのを熊尾と見立てての事か、大方の教えを乞い置く。
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「虎に関する史話と伝説民俗」は『十二支考〈上〉』 (岩波文庫)に所収