(六) 虎に関する信念 『大英類典(エンサイクロペジア・ブリタニカ)』十一版インドの条に「今日主として虎が棲(す)むはヒマラヤ山麓で熱病常に行(はや)るタライ地帯と、人が住み能わぬ恒河三角島(ガンゼネク・デルタ)の沼沢と、中央高原の藪榛(そうしん)とで、好んで鹿羚(アンテロプ)野猪を食い、この諸獣多き時は家畜を犯さず、農作を害する諸野獣を除きくれるから土民は虎を幾らかその守護者と仰ぐ」とある、白井博士は虫蛇禽獣(きんじゅう)とて一概に排斥すべきにあらず、狐を神獣とし蛇を神虫として殺さざるは、古人が有益動物を保護して田圃(たんぼ)の有害動物を駆除する自然の妙用を知り、これを世人に励行せしむる手段とせしものにて決して迷信に起源せしものにあらずと言われた(明治四十四年十一月一日『日本及日本人』五頁)。 現に紀州では神社合祀(ごうし)を濫行し神林を伐り尽くして有益鳥類栖(す)を失い、ために害虫夥(おびただ)しく田畑に衍(はびこ)り、霞網などを大枚出して買い入れ雀を捕えしむるに、一、二度は八百疋捉えたの千疋取れたのと誇大の報告を聞いたが、雀の方がよほど県郡の知事や俗吏より慧(さと)くたちまち散兵線を張って食い荒らし居る、それと同時に英国では鳥類保護の声殷(さか)んに、バクランドは田林の保護は鳥類の保護を須(ま)つ人工でどんな保護法を行(や)っても鳥が害虫を除き鷙鳥(しちょう)が悪禽を駆るほどの効は挙がらぬ、たまたま鷹や梟(ふくろう)に(ひよこ)一疋金魚一尾捉られる位は冥加税(みょうがぜい)を納めたと心得べしと説いた、現に田辺附近で狐を狩り尽くして兎が 跋扈(ばっこ)し、その害狐に十倍し弱り居る村がある、されば支那人も夙(つと)に禽獣が農事に大功あるを認め、十二月に臘(ろう)と名づけて先祖を祭ると同日、(さ)といって穀類の種神を祭り、農夫と督耕者と農に益ある禽獣を饗せしは仁の至義の尽なりと『礼記』に讃(ほ)めて居る、子貢(しこう)を観る、孔子曰く賜(し)や栄(たのし)きか、対(こた)えて曰く一国の人皆狂せるごとし、賜その楽しさを知らざるなり、子曰く百日の一日の沢、爾(なんじ)が知るところにあらざるなり、百日稼穡(かしょく)の労に対しこの一日息(やす)んで君の恩沢を楽しむ、その休息日に農夫のみか有益禽獣までも饗を享(う)けたので、古の君子これを使えば必ずこれに報ゆ、猫を迎うるはその田鼠(でんそ)を食うがためなり、虎を迎うるはその田豕(でんし)を食うがためなり、迎えてこれを祭るなりとあって、野猪が田を荒らすを虎が防ぎくれるから虎を猫とともに特に祭ったので、わが邦で山の神お犬など呼んで狼を祀(まつ)り猪鹿が畑を荒らすを防ぐに似たり。
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「虎に関する史話と伝説民俗」は『十二支考〈上〉』 (岩波文庫)に所収
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