虎に関する史話と伝説民俗(その8)

虎に関する史話と伝説民俗インデックス

  • (一)名義の事
  • (二)虎の記載概略
  • (三)虎と人や他の獣との関係
  • (四)史話
  • (五)仏教譚
  • (六)虎に関する信念
  • (七)虎に関する民俗
  • (付)狼が人の子を育つること
  • (付)虎が人に方術を教えた事

  • (史話1)

         (四) 史話

     史書や伝記に載った虎に関する話はすこぶる夥しいから今ただ手当り次第に略述する事とせり。まず虎が恩を人に報じた例を[#「例を」は底本では「礼を」]挙げると、晋の干宝の『捜神記』に廬陵の婦人蘇易なる者善く産を看る、夜たちまち虎に取られ、行く事六、七里、大壙おおあなに至り地に置きうずくまりて守る、そこに牝虎あり難産中で易を仰ぎる、因って助けて三子を産ましめると虎がまた易を負うて宅へ還し、返礼に獣肉を易の門内に再三送ったと見ゆ。

    天主教僧ニコラス・デル・テコの『南米諸州誌』に、一五三五年、メンドツァ今日アルゼンチナ国の首都ブエノサイレスの地に初めて殖民地を建て、程無く土蕃と難を構え大敗し、次いで糧食乏しくなりて人相食あいはむに※(「二点しんにょう+台」、第3水準1-92-53)およんだ、その時一婦人坐して餓死するよりはいっそインディアンか野獣に殺さるるがましと決心して、広野に彷徨さまよう中ある窟に亜米利加獅ピューマの牝が子を産むに苦しむを見、大胆にも進んで産婆の役をして遣った、米獅ピューマこれを徳とし産後外出して獣をち来て肉を子供と彼女に分ちくれたので餓死を免がれた、そのうちインディアンが彼女をいけどり、種々難儀な目に遭わせたが、遂にスペイン人につぐなわれて城に帰った、それはかったが全体この女性質慓悍で上長の人の命にしたがわぬから遂に野獣にわす刑に処せられた、ところが天幸にも一番に彼女を啖わんと近づき寄ったのが、以前出産を助けもろうた牝米獅めピューマで、見るより気が付き、これは飛んだところで御目に懸ります、せがれどもも一人前になって毎度御噂を致しいる、女ながらも西大陸の獣中王たるわたし御恩報ごおんがえしに腕を見せましょうと、口に言わねど畜生にも相応の人情ありて、爪牙を尖らせ他の諸獣をふせいで一向彼女に近づかしめず、見物一同これほど奇特な米獅ピューマに免じて彼女を赦さずば、人間が畜生に及ばぬ証明をするようなもの、人として獣にじざらめやと感動して彼女を許し、久しく無事で活命させたとある。

    淵鑑類函』に晋の郭文かつて虎あり、たちまち口を張って文に向うたんで視ると口中に骨たてり、手を以てってやると明日鹿一疋持ち来って献じた。また都区宝という人父の喪で籠りいた時里人虎を追う、虎その廬にかくれたのを宝が簔でかくしやって免がれしめた、それから時々野獣を負ってくれに来たとある。古ギリシアの人が獅のためにとげを抜きやり、のち罪獲て有司やくにんその人を獅に啖わすとちょうど以前刺を抜いてやった獅であって一向啖おうとせず、依って罪を赦された話は誰も知るところだ。これらはちょっと聞くと嘘ばかりのようだが予年久しく経験するところに故ロメーンス氏の説などをかんがえ合わすと猫やふくろうは獲物を人に見せて誇る性がある、お手の物たる鼠ばかりでなく猫は蝙蝠こうもり、梟は蛇や蟾蜍ひきがえるなど持ち来り予の前へさらけ出し誠に迷惑な事度々だった。

    故セントジョージ・ミヴワートは学者一汎いっぱんに猴類を哺乳動物中最高度に発達したる者と断定し居るは、人と猴類と体格すこぶる近く、その人が自分免許で万物の長と己惚うぬぼるる縁に付けて猴が獣中の最高位を占めたに過ぎぬが、人も猴も体格の完備した点からいうと遠く猫属すなわち猫や虎豹獅米獅等の輩に及ばぬと論じた。

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    「虎に関する史話と伝説民俗」は『十二支考〈上〉』 (岩波文庫)に所収

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