(史話1)
(四) 史話
史書や伝記に載った虎に関する話はすこぶる夥しいから今ただ手当り次第に略述する事とせり。まず虎が恩を人に報じた例を[#「例を」は底本では「礼を」]挙げると、晋の干宝の『捜神記』に廬陵の婦人蘇易なる者善く産を看る、夜たちまち虎に取られ、行く事六、七里、大壙に至り地に置き蹲りて守る、そこに牝虎あり難産中で易を仰ぎ視る、因って助けて三子を産ましめると虎がまた易を負うて宅へ還し、返礼に獣肉を易の門内に再三送ったと見ゆ。
天主教僧ニコラス・デル・テコの『南米諸州誌』に、一五三五年、メンドツァ今日アルゼンチナ国の首都ブエノサイレスの地に初めて殖民地を建て、程無く土蕃と難を構え大敗し、次いで糧食乏しくなりて人相食むにんだ、その時一婦人坐して餓死するよりはいっそインディアンか野獣に殺さるるが優と決心して、広野に彷徨う中ある窟に亜米利加獅の牝が子を産むに苦しむを見、大胆にも進んで産婆の役をして遣った、米獅これを徳とし産後外出して獣を搏ち将ち来て肉を子供と彼女に分ちくれたので餓死を免がれた、そのうちインディアンが彼女を擒り、種々難儀な目に遭わせたが、遂にスペイン人に賠われて城に帰った、それは吉かったが全体この女性質慓悍で上長の人の命に遵わぬから遂に野獣に啖わす刑に処せられた、ところが天幸にも一番に彼女を啖わんと近づき寄ったのが、以前出産を助けもろうた牝米獅で、見るより気が付き、これは飛んだところで御目に懸ります、忰どもも一人前になって毎度御噂を致しいる、女ながらも西大陸の獣中王たる妾が御恩報しに腕を見せましょうと、口に言わねど畜生にも相応の人情ありて、爪牙を尖らせ他の諸獣を捍いで一向彼女に近づかしめず、見物一同これほど奇特な米獅に免じて彼女を赦さずば、人間が畜生に及ばぬ証明をするようなもの、人として獣に羞じざらめやと感動して彼女を許し、久しく無事で活命させたとある。
『淵鑑類函』に晋の郭文かつて虎あり、たちまち口を張って文に向うたんで視ると口中に骨哽り、手を以て去ってやると明日鹿一疋持ち来って献じた。また都区宝という人父の喪で籠りいた時里人虎を追う、虎その廬に匿れたのを宝が簔で蔵しやって免がれしめた、それから時々野獣を負ってくれに来たとある。古ギリシアの人が獅のために刺を抜きやり、のち罪獲て有司その人を獅に啖わすとちょうど以前刺を抜いてやった獅であって一向啖おうとせず、依って罪を赦された話は誰も知るところだ。これらはちょっと聞くと嘘ばかりのようだが予年久しく経験するところに故ロメーンス氏の説などを攷え合わすと猫や梟は獲物を人に見せて誇る性がある、お手の物たる鼠ばかりでなく猫は蝙蝠、梟は蛇や蟾蜍など持ち来り予の前へさらけ出し誠に迷惑な事度々だった。
故セントジョージ・ミヴワートは学者一汎に猴類を哺乳動物中最高度に発達したる者と断定し居るは、人と猴類と体格すこぶる近く、その人が自分免許で万物の長と己惚るる縁に付けて猴が獣中の最高位を占めたに過ぎぬが、人も猴も体格の完備した点からいうと遠く猫属すなわち猫や虎豹獅米獅等の輩に及ばぬと論じた。
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「虎に関する史話と伝説民俗」は『十二支考〈上〉』 (岩波文庫)に所収