虎に関する史話と伝説民俗(その12)

虎に関する史話と伝説民俗インデックス

  • (一)名義の事
  • (二)虎の記載概略
  • (三)虎と人や他の獣との関係
  • (四)史話
  • (五)仏教譚
  • (六)虎に関する信念
  • (七)虎に関する民俗
  • (付)狼が人の子を育つること
  • (付)虎が人に方術を教えた事

  • 史話5)

     勇士が虎に勝った史話は多く『淵鑑類函』や『佩文韻府』にならべある。例せば『列士伝』に秦王朱亥しゅがいを虎おりの中にいた時亥目をいからし虎を視るにまなじり裂け血出そそぐ、虎ついにあえて動かず。『周書』に楊忠周太祖竜門の狩に随うた時独り一虎に当り、左にその腰を挟み右にその舌を抜く、小説には『水滸伝』の武松ぶしょう李逵りきなど単身虎を殺した者が少なからぬ、ただし上の(三)にも述べた通り虎の内にも自ずから強弱種々だから、弱い虎に邂逅めぐりあわせた人は迎えざるに勇士の名を得たのもあろう、『五雑俎』巻九に虎地に拠りて一たび吼ゆれば屋瓦皆震う、予黄山の雪峰にあって常に虎を聞く、黄山やや近し、時に坐客数人まさに満を引く、※(「九+虎」、第4水準2-87-25)こうぜんの声左右にあるごとく酒几上きじょうに傾かざる者なしとあって、虎の声は随分大きいが獅に劣る事遠しだ、『類函』に魏明帝宣武場上にて虎の爪を断ち百姓をして縦観せしむ、虎しばしばおりじて吼ゆる声地を震わし観者辟易せしに、王戎おうじゅうまさに十歳湛然懼色くしょくなしとある、予などは毎度多くの獅、虎が圏中で吼ゆるを観たが一向懼ろしくなかった、家内にあって山上の虎声におどろき酒をこぼしたなどは余程の臆病者じゃ。

    五雑俎』にまた曰く壮士水碓みずぐるまを守りしが虎につかまれ上に坐らる、水碓飛ぶがごとくまわるを虎が見詰め居る内にその人甦った、手足おさえられて詮術せんすべない、ところが虎の陽物翹然にょっきり口に近きを見、極力噛み付いたので虎大いに驚き吼え走ってその人のがるるを得た、またいわく胡人虎を射るにただ二壮士を以て弓を※(「轂」の「車」に代えて「弓」、第3水準1-84-25)き両頭より射る、虎を射るに毛に逆らえば入り毛にしたがえば入らず、前なる者馬を引き走り避けて後なる者射る、虎回れば後なる者またしかす、虎多しといえどもたちどころに尽すべしとは、虎を相手に鬼事おにごとするようで余りに容易な言いようだが、とにかくその法をさえ用いれば虎を殺すは至難の事でないらしい。

    また曰く支那の馬は虎を見れば便尿下りて行く能わず、胡地の馬も犬も然る事なし、これに似た話ラヤードの『波斯ペルシアスシヤナおよび巴比崙初探検記バビロンしょたんけんき』(一八八七年版)にクジスタンで馬が獅を怖るる事甚だしく獅近処に来れば眼これを見ざるにたちまち鼻鳴らして絆を切り逃げんとす、この辺の諸酋長獅の皮を剥製して馬に示しその貌と臭にれて惧るるなからしむと見ゆ。畜生と等しく人も慣れたら虎を何ともなくなるだろう。したがって虎を獲た者必ずしも皆勇士でもなかろう。

    ベッカリはマラッカのマレー一人で十四虎を捕えた者を知る由記し、クルックは西北インドで百以上の虎を銃殺した一地方官吏ありと言った、『国史補』に唐の斐旻はいびん一日に虎三十一をたおし自慢しいると、父老がいうにはこれは皆彪だ、将軍真の虎に遇えば能く為すなからんと言ったので、真の虎の在処ありかを聞き往って見ると、地に拠って一度吼ゆれば山石震い裂け馬辟易し弓矢皆ち、逃げ帰ってまた虎を射なんだとある。字書に彪は小虎といえり、虎の躯が小さい一変種であろう。

    『類函』に虎能く人気を識る、いまだ百歩に至らざるに伏して※(「口+(「皐」の「白」に代えて「自」)」、第4水準2-4-33)ゆれば声山谷に震う、須臾しばらくして奮い躍りて人をつ、人勇ある者動かざれば虎止って坐り逡巡ためらい耳をれて去ると。猛獣に遇った時地に坐れば撃たれぬとは欧人も説くところだ。勇士に限らず至極の腰抜けでも出来る芸当だ。

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    「虎に関する史話と伝説民俗」は『十二支考〈上〉』 (岩波文庫)に所収

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