佩文韻府(はんぶんいんぷ)
佩文韻府(はいぶんいんぷ)は、中国清代の康熙帝の勅命で張玉書らが編纂した韻書。106巻。
補遺である汪灝ら撰の韻府拾遺(いんぷしゅうい)106巻と共に用いられる。前者が1711年(康熙50年)、後者が1720年(康熙59年)の成立。
経史子集の書にみえる2字から4字までの語彙を集め,それを末尾の字の韻によって分類し、その出典と用例を記している。
佩文韻府(はいぶんいんぷ)は、中国清代の康熙帝の勅命で張玉書らが編纂した韻書。106巻。
補遺である汪灝ら撰の韻府拾遺(いんぷしゅうい)106巻と共に用いられる。前者が1711年(康熙50年)、後者が1720年(康熙59年)の成立。
経史子集の書にみえる2字から4字までの語彙を集め,それを末尾の字の韻によって分類し、その出典と用例を記している。
南方熊楠の手紙:"南方マンダラ",「不思議」について,その他(現代語訳29)
支那には笑、哄、噱(きゃく)、胡盧(ころ)、その他、苦笑とか、冷笑とか、捜せば『佩文韻府』などには多くあるだろう。その字を見ても不愉快になるほどの字が多くある。
南方熊楠の随筆:十二支考 虎に関する史話と伝説民俗(その12)
勇士が虎に勝った史話は多く『淵鑑類函』や『佩文韻府』に
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