易の占いして金取り出だしたること
「易の占いして
何故と問うと、わが
そうだろう、さて何ごとで予が千両負いおると言うかと問うに、親が死にざまに多少の物を
旅人、金のことは真実だと言って、女を片隅につれてゆき、とあるから、また例の千両の金の代りに鉄の棒を一本ぐっと進呈などとくるところと気を廻す読者も多かろうが、そんなことにあらず、一つの柱を叩かせると中が空虚らしく響く、この内に望みの金がある、小切りに出して使いたまえと示して旅人は去った。
全くこの女の父は易占の名人で、千両という大金を残らず与えて死んだら、あるに任せて若い男などにドックドックとやり続けに出してしまうは必定と判じ、十年間やっと暮らし得るだけの物を与えてこの家を失わず守らしめ、今日を待って今日泊るべき旅人を責めしめたので、この旅人も易占の名人ゆえ、千金を求められると、即座にこの家のどこにその金を
熊楠いわく、この話はもと支那の話を日本へ移したのだ。『太平広記』二一六に『国史補遺』を引いて、晋の隗、易を善くす、臨終に妻子に告げたは、後来大いに荒るるといえども宅を売るなかれ、今より五年して、詔使の氏がここへくるはず、この人われに借金あり、予が書き付けおく板を証拠として
やや似た話はインドにもあり。
『大般涅槃経』七に、「善男子よ、かくのごとし。貧しき女人の舎内に多くの真金の蔵あり。家人大小とも知るものあるなし。時に異人あり、よく方便を知って貧しき女人に語る、われ今汝を雇わん、汝わがために
女人答えていわく、わが家大小ともなおみずから知らず、いわんや汝よく知らんや、と。この人またいわく、われ今
『観仏三昧海経』一〇に、
「
かかる思惟を作し、その
世の飢饉に
如意珠を持って焼香礼拝し、まず願を発していわく、わがために食を
これは、死んでゆく父が娘の賢きを知り抜き、隠さずに宝を譲ったのを、娘がまさかの時に用いんとて、よく隠し置いたので、『藩翰譜』に出でた山内一豊の妻などと似た行いだ。
これら仏教譚よりもずっと『宇治拾遺』や『国史補遺』の談に近いのは袁天綱の伝にある。皆人の知る通り、天綱は唐一代の占術の達人で、よく前後五百年のことを知った。その妻が後世子孫の栄枯を占い言えと勧めたので、占うと十代めの孫はきわめて貧乏と判った。妻がそれを救う法ありやと問うたから、また占うて、某の年月日に本府の太守[#「太守」は底本では「大守」]が
そこで、その旨を書いて赤い箱に入れ家廟中に封じ、代々相伝えて十代めの孫に至り、某年月日にこの箱を太守に送り、必ず太守自身堂より下って
太守身を起こし階を下ると同時に、堂上の朽ちた梁が落ちて、太守が今まで占めおった公座を砕いた。太守は箱を受け取り開きみると、一帖あり、汝わが十世の孫の貧を救え、われ汝の堕梁の厄を救うと書き付けたを見て、太守は活命の恩を拝謝し、袁天綱の十代めの孫を薦めて官途に就かせ、活計を得せしめたという(『『淵鑑類函』三二三』)。
底本:「日本の名随筆82 占」作品社
1989(平成元)年8月25日第1刷発行
1997(平成9)年5月20日第6刷発行
底本の親本:「南方熊楠文集 第二巻」平凡社
1979(昭和54)年5月
入力:前野さん
校正:門田裕志
2002年12月4日作成
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