馬に関する民俗と伝説(その7)

馬に関する民俗と伝説インデックス

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  • (伝説一7)

     昔オランダ国で何度修めても砂防工事の成らぬ所あり。その頃わが邦へ渡ったかの国人が、奥羽地方で合歓木ねむのきをかかる難地へ植えて砂防を完成すると聞き、帰国の上官へ告げて試むると果して竣功したという。この事業上の談同然に学問上にも西洋人に解らぬ事で、わが邦で解りやすいのが多くある。

    三十年ほど前フレザーが『金椏篇ゴルズン・バウ』を著わして、その内に未開国民が、ある年期に達した女子を定時幽閉する習俗あるは、全く月経を斎忌タブーするに因ると説いたのを、当時学者も俗人も非常の発見らしくめ立てたが、実はわが邦人には見慣れ聞き慣れた事で、何の珍しくもない事だった。

    さほど知れ切った事でも黙っていては顕われず、空しく欧米人をして発見発見と鼻を高からしめ、その後に瞠若どうじゃくたりでは詰まらぬ。

    こう言うとお手前拝見と来るに極まって居るから、我身に当った一例をべんに、沙翁の戯曲『マッチ・アズー・アバウト・ナッシング』のビートリース女の話中に出る『百笑談ハンドレット・メリー・テールス』てふは逸書で世に現われなんだところが、一八一四年頃牧師コインビャーがふと買い入れた書籍の表紙をかの書の古紙で作りあるを見出し、解きもどして見ると損じうしなわれた頁も少なくなかったが、幸いにも一部ならで数部の同書をつぶし用いいたので、かれこれ対照してなるべく遺憾なくその文を収拾整復し得て大いに考古学者どもに裨益した。

    その『百笑談』の末段は、妻の腹に羊を画いた人の事とあって、その譚は、昔ロンドンの画工若き艶妻を持つ。用有りて旅するにかねて妻の心を疑うた故、その腹に一疋の羊を画き己が帰るまで消え失せぬよう注意せよといって出た。

    一年ほどして夫帰り羊の画を検して大いに驚き、予は角なき羊を画いたのに今この羊に二角生え居る。必定予の留守に不貞を行うたのだとなじり懸ると、妻夫に向い短かくとまであって、上述ごとく一度潰し使われた本故、下文が欠けて居る。

    三十年ほど前読んだ、ラ・フォンテーンに、「荷鞍」と題した詩ありて、確か亭主が妻の身に驢を画いて出で帰り来って改めると、わが画いたのとちがってその驢が荷鞍を負い居る。妻は一向気付かずに、何と妾の貞操はその驢が確かな証拠に立つでしょうというと、いかにも大立ちだ、悪魔が騎った証拠に鞍を負うて立つといったと詠みあったと憶える。十六世紀に成った『上達方ル・モヤン・ド・パーヴニル』第七章にもほぼ同様の譚を出し、これ婦女に会うと驢に鞍置くと称うる事の元なりと見ゆ。英国の弁護士で、笑談学ファセチオロジーの大家たるリー氏先年『百笑談』の類話をあつめたのを見ると、この型の話は伊、仏、独、英の諸邦にあれどいずれも十六世紀前に記されず。

    しかるにそれより三世紀早く既に東洋にあったは、『沙石集』を読んで知れる。その七巻に、遠州池田の庄官の妻甚だ妬む者、磨粉みがきこに塩を合わせ夫に塗り、夫が娼に通うを験証せる由を述べ、次にある男他行に臨み妻に臥したる牛を描きしに、夫還りて改むれば起れる牛なり、怒って妻をなじると、哀れやめたまえ、臥せる牛は一生臥せるかといいければ、さもあらんとて許しつとあって、男の心は女より浅く大様おおようだと論じある。

    それより五百年ばかり後支那で出来た『笑林広記』に、類話二つを出し、一は蓮花を画き置くと、不在中に痕なく消え失せたり、夫大いに怒ると妻落ち着き払って、汝は不適当な物を画いた、蓮の下の蓮根は食える物ゆえ来る人ごとに掘り取り、蓮根枯れれば花が散るはずでないかとあり。今一つは、夫他行の際、左の番卒を画き置きしに、帰り来れば番卒右にあり、怒って妻を責むれば、永々の留守ゆえ左右の立番を振り替えたのだと弁じたとある。

    紀州で今も行わるる話には、夫が画いたはくつわ附きの馬だったが、帰って見るに勒なし、妻を責むると馬も豆食う時勒を去らにゃならぬと遣り込められたという。この型の諸譚、一源より出たか数ヶ処別々に生じたか知らぬが、記録に存する最も古きは日本の物と見る。右は東京の蘭国公使館書記官ステッセル博士の請に任せ、一九一〇年発行『フラーゲン・エン・メデデーリンゲン』へ出した拙稿の大意である。

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    「馬に関する民俗と伝説」は『十二支考〈上〉』 (岩波文庫)に所収

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