フランクス

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  • オウガスタス・ウォラストン・フランクス(Franks, Sir Augustus Wollaston)

    フランクス(1826〜1897)。大英博物館の英国・中世古美術及び民族誌学部部長。晩年、博物館理事を兼務。英国古美術協会会長。
    南方熊楠(1867~1941)とは1893年に出会い、熊楠を大英博物館に招きました。
    東洋美術のコレクターとしても有名。



    フランクス

    南方熊楠の手紙:履歴書(現代語訳6)
    件のプリンス片岡は英語における諏訪氏ともいえるほど英語の上手である。かつ『水滸伝』に浪子燕青は諸般の郷語に通じるとあるように、この片岡は cant, slang, dialects, billingsgate 種々雑多、刑徒の用語から女郎、スリ、詐欺師の常套句に至るまで、英語という英語に通じないところなく、胆略きわめて大きく種々の謀計を行なう。かつて諸貴紳の賛成を経て、ハノヴァー・スクワヤーに宏大な居宅を構え、大規模の骨董店を開き、サルチング、フランクスなど当時有数の骨董好きの金満紳士を得意にもち、大いに気勢を上げたが、なにぶん本性がよくない男で毎度尻が割れる。 

    南方熊楠の手紙:履歴書(現代語訳6)
    当時小生は英国に着いて、古くからの知り合いを一人二人尋ねたが、父が死に、弟は若く、それに兄がいろいろと難題を弟に言いかける最中で国元から来る金も多くない。日々の食も乏しく、ひどい場合は絶食という有様であったため、誰ひとり顧みてくれる者もなかったが、この片岡が小生を見て変な男だが学問はおびただしくしていると気づく。それより小生を大英博物館館長であったサー・ウォラストン・フランクスに紹介してくれた。

    南方熊楠の手紙:履歴書(現代語訳7)
    この答文の校正刷りを手にして、乞食も呆れるような垢染みたフロックコートでフランクスを訪ねたが(この人は『大英百科全書』11版にその伝記があって、英国にこのような富豪で好学の士がいるのは幸いである、記してある)、少しも小生の服装などを気にかける様子もなく、件の印刷文を校正してくれた上、

      辞書に、sketch と outline を異詞同意(シノニム)としている 小生もそのつもりで「星どもが definite sketch を描き成す」とか書いてあるのを見て、これは貴下が外国人ゆえこのような手近なことすらわからない。これは英人に生まれなければわかりがたいことである。シノニムはただかなりの部分似た言葉というほどのことである。決して全く同一の意味というのではない。sketch は下の猫Aのようで、outline はこの図のようである。definite というのは sketch ではななく outline である。sketch は indefinite であって definite ではない、と教えられた。他の人のことは知らないが、小生などは、外国語を学ぶのに辞書だけをあてにしてこのような間違いが今もはなはだ多い、と自覚している。

    大きな銀器にガチョウを丸煮にしたものを出して前に置き、自ら包丁でその肝を取り出し、小生を饗せられた。英国学士会員の老大家であって諸大学の大博士号いやが上に持っているこの70近い老人が、どこの生まれとも知れず、たとえ知れたところが和歌山の小さな鍋屋のせがれと生まれたものが、何の資金も学校席位も持たない、まるで孤児院出の小僧のような当時26歳の小生を、ここまで厚遇されたのはまったく異例のことで、今日初めて学問の尊さを知ったと小生は思い申す。それより、この人の手引きで(他の日本人と違い、日本公使館などの世話を経ずに)ただちに大英博物館に入り、思うままに学問上の便宜を得たことは、今日でもそのような例のないことと存ずる。


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