オステン=サッケン(Osten-Sacken, Baron)
バロン・オステン・サッケン(1828〜1906)。外交官。
外交官としてアメリカに20年以上滞在。
膜翅類(蜂や虻の類)の研究者でもあり、南方熊楠(1867~1941)とは1894年に『ネイチャー』を通じて知り合いました。
その年の8月にはロンドンの熊楠の下宿を訪ねています。
バロン・オステン・サッケン(1828〜1906)。外交官。
外交官としてアメリカに20年以上滞在。
膜翅類(蜂や虻の類)の研究者でもあり、南方熊楠(1867~1941)とは1894年に『ネイチャー』を通じて知り合いました。
その年の8月にはロンドンの熊楠の下宿を訪ねています。
南方熊楠の手紙:履歴書(現代語訳12)
そして、この2階に来て泊まり、昼夜快談した人に木村駿吉博士などの名士が多く、斎藤七五郎中将(旅順開戦の状を明治天皇御前に注進申した人。この人は醤油を造るために豆を踏んで生活した貧婦の子である。小生と同じく私塾に行って他人が学ぶのを見て覚え、帰って記憶のまま写し出して勉学したという)、吉岡範策(故佐々友房の甥、柔道の達人、ただ今海軍中将である)、加藤寛治、鎌田栄吉、孫逸仙(※孫文※)、オステン・サッケン男爵などその他多い。
オステン・サッケン男爵は、シカゴの露国総領事である。公務の暇に両翅虫学 Dipterology を修め、この学問における大権威であった。この人を助けて小生は『聖書』の獅子の死骸より蜂蜜を得たサムソンの話を研究し、ブンブン(雪隠虫の尾の長いものが羽化したアブで、きわめてミツバチに似たもの)をミツバチと間違えて、このような俗信が生じたことを述べ、ハイデルベルヒで2度まで出版し、大英博物館でもミツバチとブンブンを並べて公示し、2虫間に天然模擬が行なわれていることを証明するに及んだ。このことは近日『大毎』紙へ載せるからご笑覧を乞うておく。
このサッケン男爵(当時63、4歳)は、小生の部屋を訪れたとき茶を出したが、あまりの室内の汚さにその茶を飲まずに帰った。
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