斎藤七五郎(さいとう しちごろう)
斎藤七五郎(1869年〜1926年)。
ロンドンで南方熊楠(1867年~1941年)と出会ったときは海軍少尉。のちに海軍中将、海軍軍令部次長。
大正9年、少将のときに田辺に熊楠を訪ねています。
斎藤七五郎(1869年〜1926年)。
ロンドンで南方熊楠(1867年~1941年)と出会ったときは海軍少尉。のちに海軍中将、海軍軍令部次長。
大正9年、少将のときに田辺に熊楠を訪ねています。
南方熊楠の手紙:履歴書(現代語訳12)
そして、この2階に来て泊まり、昼夜快談した人に木村駿吉博士などの名士が多く、斎藤七五郎中将(旅順開戦の状を明治天皇御前に注進申した人。この人は醤油を造るために豆を踏んで生活した貧婦の子である。小生と同じく私塾に行って他人が学ぶのを見て覚え、帰って記憶のまま写し出して勉学したという)、吉岡範策(故佐々友房の甥、柔道の達人、ただ今海軍中将である)、加藤寛治、鎌田栄吉、孫逸仙(※孫文※)、オステン・サッケン男などその他多い。
南方熊楠の手紙:山男について、神社合祀反対運動の開始、その他(現代語訳9)
(先年旅順閉塞で名高かった斎藤七五郎氏(今は大佐か)がそのころ少尉で富士艦滞在中、小生が艦員を大英博物館へ案内し、いろいろ学問上のものをたびたび見せたので、同艦の写真を艦長と将校から右の七五郎氏に託し、その写真屋から人を雇い小生に贈られたことがあった。小生の家がわからずにとうとう持ち帰り、その後郵便で小生方へ届いたほどのことである)
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