加藤高明(かとう たかあき)
加藤高明(1860〜1926)。日本の外交官、政治家。第24代内閣総理大臣。
愛知県生まれ。東京大学法学部を主席で卒業、英国留学を経て、在ロンドン英国公使、外務大臣を歴任、1924年(大正13年)に首相就任。その後、就任期間中に肺炎をこじらせて死去。
加藤高明のロンドン英国公使在任期間は1894〜1899年で、南方熊楠(1867〜1941)の滞英期間は1892〜1900年。
加藤高明(1860〜1926)。日本の外交官、政治家。第24代内閣総理大臣。
愛知県生まれ。東京大学法学部を主席で卒業、英国留学を経て、在ロンドン英国公使、外務大臣を歴任、1924年(大正13年)に首相就任。その後、就任期間中に肺炎をこじらせて死去。
加藤高明のロンドン英国公使在任期間は1894〜1899年で、南方熊楠(1867〜1941)の滞英期間は1892〜1900年。
南方熊楠の手紙:履歴書(現代語訳9)
そのひとりに当時ロンドン大学総長であったフレデリック・ヴィクトル・ディキンズ氏がいる。この人は幼いときに横浜に来て、東禅寺で茶坊主をしていたことがある。梟勇の資質があってきわめて剛強の人である。後に横浜で弁護士と医師を兼ね、日本の書物とあれば浄瑠璃、古国文学から動植物までも世界に紹介し、日本協会がロンドンに立つに及んでその理事となり、加藤高明氏(その頃の公使)の乾杯辞に答えたことなどがある。
南方熊楠の手紙:履歴書(現代語訳7)
しかしながら、アーサー・モリソン氏(『大英百科全書』に伝記がある。八百屋か何かの書記から発奮して小説家となった、著名な人である。今も存命であろう)が熊楠の学才をはなはだ惜しみ、英皇太子(前皇エドワード7世)、カンターベリーの大僧正、もうひとりはロンドン市長であったか、三方へ歎訴状を出し(この三方が大英博物館の評議員の親方であっため)、サー・ロバート・ダグラスがまた百方尽力して、小生はまた博物館へ復帰した。このとき加藤高明氏が公使であった。この人が署名し一言してくれたら事は容易であったはず、よって小池張造氏を経由して頼み込んだが、南方を予よりもダグラスが深く知っていると言って加勢してくれなかった。
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