履歴書(現代語訳19)

履歴書(現代語訳)

  • 1 宗像三神について
  • 2 父母について
  • 3 和歌山、東京、アメリカ
  • 4 アメリカ,キューバ
  • 5 ロンドンに渡る
  • 6 ロンドンで知り合った人
  • 7 ネーチャー、大英博物館
  • 8 孫文
  • 9 ネーチャー、ノーツ・エンド・キーリス
  • 10 落斯馬論争
  • 11 『方丈記』英訳
  • 12 ロンドンの下宿
  • 13 母と兄
  • 14 大英博物館を離れる
  • 15 帰国
  • 16 和歌山
  • 17 熊野
  • 18 かわいそう
  • 19 幽霊と幻の区別
  • 20 結婚、小畔氏との出会い
  • 21 高野山へ
  • 22 土宜法竜
  • 23 粘菌
  • 24 生きた薬
  • 25 陸生トコロテン
  • 26 青い粘菌
  • 27 僻地、熊野
  • 28 隣人とのトラブル
  • 29 法律が苦手
  • 30 弟の妻
  • 31 梅毒
  • 32 南方植物研究所設立へ
  • 33 寄付金
  • 34 山本達雄
  • 35 媚薬
  • 36 処女を悦ばす妙薬
  • 37 締まりをよくする方
  • 38 実用
  • 39 専門家の弊害

  • 幽霊と幻の区別

    那智山
    那智山 / み熊野ねっと

     前状の続き

     このようにして小生は那智山にいて、寂しい限りの生活をして、昼は動植物を観察し図記して、夜は心理学を研究する。寂しい限りの所なので、いろいろの精神変態を自身に生ずるゆえ、自然に変態心理の研究に立ち入った。幽霊と幻の区別を知ったようなのは、このときのことである。

     幽霊が現われるときは見る者の身体の位置がどうであろうと、地平に垂直に現われ申す。しかしながら幻は見る者の顔面に並行して現われる。

     この他発見したことは多い。ナギランというものなどは(また stephanosphara〔ステファノスヘーラ〕 と申す欧州で稀にアルプスの絶頂の岩窪の水に生ずる微生物など、とても那智のような低い山にないものを)幽霊が現われて知らせたままに、その所に行ってすぐに見つけ出しました(植物学者にこのようなことが多いのは以前から書物に見える)。また、小生がフロリダにあったときに見つけ出した、ピトフォラ・ヴァウシェリオイデスという藻も、明治35年ちょっと和歌山へ帰った際、白昼に幽霊が教えたままにその所に行って発見致しました。今日の多くの人間は利欲我執事に惑うあまり、脳力がくもってこのようなことは一切ないが、まったく閑寂の地にいて、心に世の煩いがないときは、いろいろの不思議な脳力が働きだすものなのです。

      小生が旅行して帰宅する夜は、別に電信など出さないのに妻はその用意をする。これは rapport(ラッポール)と申し、特別に連絡の厚い者にこちらの思いが通ずるので、帰宅する前、妻の枕頭に小生が現われ呼び起こすのだ。東京にあった日、末広一雄などが今夜くればよいと思い詰めると、なんとなく小生方へ来たくたってきたことがしばしばある。

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    「履歴書」は『南方熊楠コレクション〈第4巻〉動と不動のコスモロジー』 (河出文庫)に所収

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