幽霊と幻の区別
前状の続き
このようにして小生は那智山にいて、寂しい限りの生活をして、昼は動植物を観察し図記して、夜は心理学を研究する。寂しい限りの所なので、いろいろの精神変態を自身に生ずるゆえ、自然に変態心理の研究に立ち入った。幽霊と幻の区別を知ったようなのは、このときのことである。
幽霊が現われるときは見る者の身体の位置がどうであろうと、地平に垂直に現われ申す。しかしながら幻は見る者の顔面に並行して現われる。
この他発見したことは多い。ナギランというものなどは(また stephanosphara〔ステファノスヘーラ〕 と申す欧州で稀にアルプスの絶頂の岩窪の水に生ずる微生物など、とても那智のような低い山にないものを)幽霊が現われて知らせたままに、その所に行ってすぐに見つけ出しました(植物学者にこのようなことが多いのは以前から書物に見える)。また、小生がフロリダにあったときに見つけ出した、ピトフォラ・ヴァウシェリオイデスという藻も、明治35年ちょっと和歌山へ帰った際、白昼に幽霊が教えたままにその所に行って発見致しました。今日の多くの人間は利欲我執事に惑うあまり、脳力がくもってこのようなことは一切ないが、まったく閑寂の地にいて、心に世の煩いがないときは、いろいろの不思議な脳力が働きだすものなのです。
小生が旅行して帰宅する夜は、別に電信など出さないのに妻はその用意をする。これは rapport(ラッポール)と申し、特別に連絡の厚い者にこちらの思いが通ずるので、帰宅する前、妻の枕頭に小生が現われ呼び起こすのだ。東京にあった日、末広一雄などが今夜くればよいと思い詰めると、なんとなく小生方へ来たくたってきたことがしばしばある。