梅毒
物徂徠の言葉に「僧侶の行い清い者は多く猥語を吐く」とあったと記憶する。ローマのストア派の大賢セネカも、私の行いを見よ、正しい、私の言葉を聞け、猥である、と言った。小生は、ずいぶん陰陽和合の話などで聞こえた方だが、行いは至って正しく、40歳まで女と話したことも少なく、その歳に初めて妻をめとり、ときどき統計学の参考のためにやらかすが、それすらかかさず日記帳にギリシア文字で茶臼とか居茶臼とか倒澆蠟燭とか本膳とかやりようまでも明記した。
司馬君実は閨門中の言葉までも人に聞かされないものはないと言ったそうだが、小生はそのまだ上で、回向院の大相撲同然、取り組みまでも人に聞かされないものはないと心得ている。また他人と違って、借金ということをしたことがない。至って普通のことのようだが、これは至ってしにくいことでござる。
しかしながら舎弟は表面的には孔子をしのぐほどの聖人君子ぶりの顔をした男ながら、若いとき折花攀柳(※せっかはんりゅう:遊里に遊ぶこと※)とやらで淋病を病み、それをその妻に伝えているのだ。漢の呂后、随の独狐后、唐の則天などは知らないが、梅毒ということが盛んに行なわれる世となっては、これを伝えらえらた妻が性質を一変して怒りと妬みより牝獅が子に授乳するときのように狂い出すのはあり得ることで、今の世に妻に頭の上がらない夫は10のうち8,9はこのひとつの過失があったため、女々しくも閉口していると見え申す。
今の医学者など、梅毒はコロンブスのとき米国より水夫が伝染して世界に広まったと心得る輩が多い。それが慶長、元和の頃、唐瘡(とうかさ)といって本邦に渡り、結城秀康、黒田如水、浅野幸長、本多正信など、みなこのために没したと申す。
なるほど激しい梅毒はそうかもしれないが、しかしながら『壒嚢抄』は文安時代(足利義政公がまだ将軍に任ぜられなかったとき)できたものである。それに、ある鈔物にいわくと引いて、和泉式部が瘡開(かさつび)という題で「筆もつびゆがみて物のかかるるはこれや難波のあし手なるらん」と詠じたとある(紀州などでは今も梅毒をカサという。「つびゆがみて物のかかるる」とは梅毒を受けた当座、陰部に瘡ができて痒いのをいっているのだ)。
和泉式部と同じく平安時代にできた『今昔物語』に巻二四に、貴女が装ったきれいな車に乗って典薬頭(てんやくのかみ)某という老医師方に来て、貴公に身を任すからと言って泣く。何事かと問うと、女は袴の股立ちを引き開けて見せると、雪のように白い股に少し面腫れている云々。袴の腰をまったく解いて前の方を見ても毛のなかで見えない、典薬頭が手でそれを探ると、縁のとても近くに腫れたものがある。左右の手で毛を掻き分けて見ると、もっぱら慎むべき物である、云々。
典薬頭は我に身を任せたと聞いて大喜びで、種々手を尽くして治療し、なお数日留め置いてこの女を賞玩しようと楽しむうち、この女はこっそり逃げ去り、老医泣き怒ったという話を載せる。これも梅毒と見え申す。もちろん今の梅毒と多少違うかもしれないが、同様の病いであることは論じるまでもないと存じる。
1882年にドイツのロセンバウムが『淫毒病史』を出す。これは、梅毒がコロンブス以前からあった証拠をヘブライ、ギリシア、ローマ以下の書物よりおびただしく挙げた大著述である。小生がこのようなことを長々しく言うのは、支那の名臣房玄齢、戚継光、我が国の勇将福島正則すらも嫉妬深い女、気性の強い女にはかなわなかったように見える。これらはその内実、夫の方にやましいことがあったので、じつは梅毒を伝えたのがいたと存じ申す。
英国で下院へ一案が出したが、これを出した政党の首領の失策でこの案は通らず、しかし、大蔵大臣がその首領の姻戚であった縁でその辺雑作もなく通過した。バジョーがこれを見て、近世政党史を編するのに特に著名な政治家の縁戚を調べて、縁戚関係が政略の成立不成立に及ぼした子細を研究したら面白かろうと言ったとか。氏自身も誰もこの研究をしたものがあるのか、小生は知らない。過日の貴社の騒動なども内手を調べたら、世間に思いがけないこの類いのことがもっとも力があったこともあるだろうと存じる。
またついでに申す。インドの神や偉人の伝に、その父母が何形を現わして交会して生んだということが多い。鸚鵡形、象形、牛形などである。これはちょっと読むと、神や偉人の父母はむろん常人ではないので、このようにいろいろの動物に化けて交会したようだが、じつはそうではない。上に述べた茶臼とか居茶臼とか後ろどりとかいろいろのやりようがある。それをこのように動物の名をつけたのだ。
本邦にもやりように、古く鶴の求食(あさり)、木伝う猿(こづたうましら)などいろいろの名があったことが『類聚名物考』に見える。英国のサー・リチャード・バートンは、インド人がこのようなことに注意して書き留めたのはたいへん有意義で、やりようの如何によって生まれる子の性質に種々の関わりがあることであろう、深く研究を要する、と言った。