媚薬
小生は言った。
「秦の王猛はどてらを着て桓温を訪ねたところ、桓温は勝ち戦の勢いに乗じてこれを見下し、関中の豪傑は誰かと問うたという。じつは関中にも支那中にも王猛ほどの人物はなかったが、見下して挨拶が悪かったから帝王を補佐する才を空しく抱いて何の答えもせずに去って苻堅に就き秦を強大にした。周の則天武后が宰相人を失すと嘆じたが、このような大臣あるに出づ(※?※)。政府や世に聞こえた学者にろくなやつはいない」と言い、
「トウショウというアカザのようなものは、蒙古では非常に人馬の食糧となるものであり、それなのに参謀本部から農務省にこの物の調査どころか名を知った者もいない。支那では康煕帝親征のときみずから砂漠でこの物を試食し、御製の詩さえあるのだ。万事このようだ」と言っていろいろの例を挙げ、
「学問する者は愚人に知られないといって気に病むようでは学問は大成しないといって、貧弱な村に一生いて小学校の代用教師などをした天主僧メンデルは、心静かに遺伝の研究をしていわゆるメンデルの法則を確定したが、生涯誰ひとりその名さえ知らず、死後数年して急にダーウィン以後の有力な学者と認められた。人が知る知らないを気兼ねしては学問は大成しない」と言い放つところへ鶴見商務局長が入って来た。この日、英皇太子の入京で、諸大臣は大礼服で迎えに行くといって大騒ぎである。
小生は山本氏にこの出迎えに間に合わないようにさせようと思いつき、いろいろの標本を見せるうち、よい時分を計り、惚れ薬になるキノコをひとつ取り出す。これはインド諸島から綿を輸入したが久しく紀州の内海(※うつみ:和歌山県海南市内海※)という地の紡績会社の倉庫に置かれ腐ったのに生えた物で、図(※図は本で見てください。『南方熊楠コレクション〈第4巻〉動と不動のコスモロジー』 (河出文庫) 369頁※〕のようにまるで男根形、茎に癇癪筋があり、また頭から粘汁を出すのまで、その物そっくりである。60〜70年前に聞いたままにこれを図したオランダ人がいるが、実際その物を見たのは小生は初めてである。
ゴボウのような臭気がする。それを女にかがせると眼を細くし、歯を食いしばり、髣髴として誰でも自分の夫に見え、大惚れに惚れ出す。それを見せていろいろ面白くしゃべると、山本が問うて言うには「それはしごく結構だが、いっそ処女を喜ばす妙薬はないかね」。
小生は政教社の連中から、山本の亡妻はとても夫の勇勢に耐えきれず、進んで処女を選んで下女に置き、2人ずつ毎夜夫の両側に臥せさせる、それが孕めば出入りの町人に添え物を添えて払い下げ、また処女を置く、しかし、前年夫人が死に、その弔いにこれも払い下げられて夫のある女が来たのを、花橘の昔の匂いがゆかしくてまた引き留め宿らせたが、情けが凝って腹に宿り、夫の前を恥じて自殺したということを聞いていたので、それこそおいでになったなと、いよいよ声を張り上げ、「それはあるともあるとも大ありだが、寄付金をどっしりくれないと、ただで聞かすわけにはいかない」と言うと、「それは出すから」とくる。