落斯馬論争
小生は大英博物館にあるうち、独人が膠州湾を取ったことがある。東洋人の気炎はすこぶる上がらなかった。そのとき館内で小生を軽蔑した者がいたので、小生500人ほどが読書するなかで激しくその鼻を打ったことがある。そのため小生は館内の出入りを禁じられたが、学問上もっとも惜しむべき者であるとして、小生は2ヶ月ほど後にまた登館した。
当時、このことは『タイムス』その他に出て、日本人を憎むもの、畏れるもの、打たれた者は自業自得というもの、その説はさまざまであった。小生はその頃日本人がわずかに清国に勝っただけで、概して洋人から劣等視されるのを遺憾に思い、議論文章に動作に、しばしば洋人と闘って打ち勝った。
オランダ第一の支那学者グスタヴ・シュレーゲルと『正字通』の落斯馬という獣が何かを論じてから、見苦しい国民攻撃となり、ついに降参させて謝状をとり今も所持している(これは謝状を出さなければ双方の論文を公開してシュレーゲルの拙劣を公示すると言いやったのだ)。落斯馬(ロスマ)と申すのは Ros Mar(馬 海の)というノルウェー語の支那訳である。
17世紀に支那にあった Verbiest(南仁懐という支那名をつけた天守僧である)の『坤輿図説』という書に初めて出た。これを、その文を慌てて読んで Nar Whal(死白の 鯨)(一角魚〔ウニコール〕)とシュレーゲルは言ったのだ。これから先ライデンから出す『人類学雑誌』(Archiv Fur Ethnologie)で、シュレーゲルが度々小生がロンドンで出す論文に蛇足の評を加えるのを小生は面白くなく思っていたので、右の落斯馬の答えの誤りを正してやったのだ。それなのに、わざと不服を唱えていろいろの難題を持ち出したのを小生は答えてやった。
さて、いわく、汝シュレーゲルが毎度秘書のように名を隠して引用する(じつは日本ではありふれた書)『和漢三才図会』に、オランダ人は小便するとき片足を挙げて犬のようにするとある。むかしギリシアに、座敷がきれいでつばを吐く所がないといって主人の顔につばを吐いた者があった。主人がこれを咎めると、汝の驕傲を懲らしたのだと言った。そのとき、主人は汝みずからがその我よりも驕傲であることに気がつかないのかと言った。
汝は日本人に向かって議論をふきかけながら、負けかかっているといって勝つ者を無礼呼ばわりする。じつは片足挙げて小便する犬同様の人間であって(欧米人は股引を履くため、片足を開かなければ小便できない、このところは犬に似ている)、自分で自分の無礼に気づかないものである、と。いわゆる人を憤死させるやり方で、ずいぶん残念ながらも謝状を出したことと思う。