熊野
その頃は、熊野の天地は日本の本州にありながら和歌山などとは別天地で、蒙昧といえば蒙昧、しかしその蒙昧なのが、その地の科学上きわめて尊かった所以で、小生はそれから今まで熊野に留まり、おびただしく生物上の発見をなし申した。
例を挙げると、ただ今小生が唯一の専門のように内外の人が思う粘菌などは、東大で草野俊助博士が28種ほど集めたのに過ぎなかったのを、小生は115種ほどに日本の粘菌の総数を増やし申した。その多くは熊野産である。さて、知己の諸素人学者の発見もあり、ことに数年来小畔氏が発奮して採集に集中してから、ただ今、日本の粘菌の総数は150余り、まずは英米2国を除いては他の諸国に対して劣位におらぬこととなっている。
しかし、小生がもっとも力を入れたのは菌類で、これはもしおついでがあれば当地へ見に下られたく、主として熊野で採った標品が、幾万と数えたことはないが、極彩色の画を添えたものが3500種ほど、これに画を添えていないものを合わせればたしかに1万はある。田中長三郎氏が『大毎』紙に書いたように、世界有数の大集彙である。
また淡水に産する藻は海産の藻と違い、もっぱら食用になどならないから、日本には専門家がはなはだ少ない。その淡水藻をプレパラートにおよそ4000枚は作った。じつに大きな骨折りであったが、資金が足らずにことごとく図譜を作らぬうちに、プレパラートがみな腐ってしまったが、そのまま物語りの種にまで保存している。シェイクスピアの戯曲の名同然 Lover's Labour's Lost ! (※喜劇『恋の骨折り損』※)である。
友人(ただ今九大の農学部講師)田中長三郎氏は、先年小生を米国政府から雇いに来たとき、拙妻は神主の娘で肉食を好まず、肉食を強いると脳が悩みだすため行くことができなかったので、田中氏が雇われて行った。この人の言葉に、日本の今日の生物学は徳川時代の本草学、物産学よりも質が劣る、と。これは強語のようだが、じつに真実の言葉である。
むかし、このような学問をした人はみな本心からこれを好んだ。しかしながら、今のはこれで卒業し、また生計の方便としようとだけ心がけるため、落ち着いて実地を観察することにつとめず、ただただ洋書を翻読して聞きかじり学問を誇るだけである。それでは何の創見も実用も挙らないはずである。
ご承知の通り本邦の暖地に松葉欄と申すものがある。このものの胞子が発生して松葉欄となるまでの順序がわからない。その隣近の諸類、羊歯(しだ)、木賊(とくさ)、石松(ひかげ)などの発生順序はみなわかっているのに、この松葉欄だけがわからないのだ。
前年平瀬作五郎氏(74歳で今年1月4日死亡。この人はイチョウの受精作用を発見して世界を驚かせたが学位なしで死んだ)に恩賜賞金をくだされたとき、小生と協同してその賞金を使って松葉欄の発生順序の研究に全力を尽くすこととし、小生は自宅に多くの松葉欄を植えて実地検証し、平瀬氏は京都にいて毎年当地へ下り来て、小生の報告と生本を受けて持ち帰り、もっぱら解剖検鏡することと定め、14年の長きにわたって研究した結果、小生は鰹の煮汁を地に捨てて生じる微細の菌を万年青(おもと)の根に繁殖させ、それに松葉欄の胞子をまけば発生することをつきとめた。しかし、我輩が研究しようとする状態は毎度地中にあって行なわれ、新芽が地上に現われるときは我輩が解明しようとする状態はすでに失われている。
しかしながら、この植物が必ず発生するようその胞子をまく方法を知った上は、件の状態を明らかにすることは遠いことではないと2人ますます協力発奮するうち、豪州の2学者が相期せずして、この松葉欄の発生順序を発見し、エジンバラの学会に報告したとのことを聞き出して、小生から平瀬に報せたところ、平瀬が東大へ聞き合わせてその事実であることを知り、力を落として多年の研究をやめたのは、さる大正9年頃のことであった。