粘菌
Slime mold / Vagabond Shutterbug
小生は田辺にあって、いろいろの難しい研究を致し申す。例えば、粘菌類と申すのは動物ながら素人には動物とは見えず、外見菌類に似たことが多いものである。明治35年夏、小生は田辺近傍の鉛山温泉でフィサルム・クラテリフォルムという粘菌を見つける(これはほとんど同時に英人ペッチがセイロンで見つけて、右の名をつけた)。その後しばしばこの物を見つけたが、いずれも生きた木の皮にだけ着いている。
およそこの粘菌類は、もっぱら腐敗した植物のなかに住んでこれを食い、さて成熟に及んでは、近所の光線に向かえる物の上に這い上がって結実成熟するのだ。それなのに右の一種に限り、どんなに光線の工合がよくても、死んだ物には這い上がらず、必ず遠くとも生きた物に限ってその上に這い上がり、結実成熟するのだ。それより小生はこのことに注意して不断観察すると、10種ほどの粘菌はひとつの例外もなくこのように生き物の上に限り這い上がって成熟する。
このことを粘菌学の大権威リスター女史(これはむかし眼鏡屋主人で顕微鏡に大改良を加えたリスターという者の後胤で、初代のリスターは眼鏡屋ながら学士会員となった。その後代々学者を輩出し、リスター卿に至って初めて石炭酸を防腐剤に用いることを明治8、9年ごろ発明し、医学に大功があった。その弟アーサー・リスターは百万長者で法律家であった。暇あるごとに生物学に志しついに粘菌図譜をだして粘菌学の大権威となる。小生は初めこの人に粘菌の鑑定を乞いて、おいおい学問致した。
リスター女史はその娘である。一生嫁がず粘菌の学問だけを致し、今年あたり亡父の粘菌図譜の第3版を出す。それに小生が自宅の柿の木の生皮から見つけた世界中で唯一の属に、女子が小生の氏名によってミナカテルラ属を立てた1種の3色版の画が出るはずである。たぶん昨年出たことと思うが、曽我十郎が言ったように、貧は諸道の妨げで、近来忙しくて文通さえ絶えている)に報告してから、女史が学友たちに通知して気をつけると、欧米その他にも、小生が言う通り、生きた物にかき上ってだけ初めて結実成熟する粘菌がまた10余種(すなわち日本と外国と合わせて20余種)あることがわかった。
ご承知の通り連盟とか平和とか口先ばかりで唱えるものの、従来、またことに大戦以後、国民や人種の我執はますます深く熱くなってゆき、したがって国名に関することには、いかに寛大篤学の欧人も、常に自国人をかばい、なるべく他国人をけなし申す。したがってこの、ある粘菌に限り、食うものは腐ったもの死んだものを食いながら、結実成熟には必ず死物を避けて生きた物にとりつくことを必要とするということも、小生と別に英国のクラン Cran という僧が、小生と同時に(もしくは少し早く)気づいていたように発表され申す。
まことに苦々しい限りで、当初この発見を小生がリスター女史に告げたとき Cran などという坊主のことは聞き及ばず、リスター女史がみずからきわめて小生の報告を疑い、正確に小生が検定した、生物にだけ身を託して初めて結実し得る諸粘菌の名を求められた状は今も当方にあるのだ。それなのに、小生の発見確実と見るや、たちまち右の坊主を選定して小生とその功を分かちまたは争わせようと致された。万事こんなやりかたでで、日本人が自分の発見を自分で出版して自在に世界中に配布するのでなければ、とうてい日本人は欧米人と対等に体面を保つことはできない。リスター女史などはじつに小生に好意の厚い人であるが、それすらこのようなので、その他は知るべし。