鉛山(かなやま)
現・和歌山県西牟婁郡白浜町。
南方熊楠の手紙:南方二書(現代語訳11)
また鉛山の温泉場の前岬の岩井に、図のような(※図は本で見てください。『南方熊楠コレクション〈5〉森の思想』 (河出文庫) 405頁※)ヒトデで、足の大小がかけ離れて大きな差があるものがいた。これでは歩行に不便であろうと観察したところ、廻りあるく gyrate である。英国へ持って行き大英博物館の専門家に見せたところ、ニュージーランドの特産であるとのこと。小生の手元に1個今も残してある。欲しい人が入れば進呈しよう。これらも、役人の不注意、人民の勝手気ままのため海中の岩が少しもなくなり、右の温泉へ波が激しいときごとに海潮が打ち入り海が荒くなったため、今は全滅した。
南方熊楠の手紙:履歴書(現代語訳23)
小生は田辺にあって、いろいろの難しい研究を致し申す。例えば、粘菌類と申すのは動物ながら素人には動物とは見えず、外見菌類に似たことが多いものである。明治35年夏、小生は田辺近傍の鉛山温泉でフィサルム・クラテリフォルムという粘菌を見つける(これはほとんど同時に英人ペッチがセイロンで見つけて、右の名をつけた)。その後しばしばこの物を見つけたが、いずれも生きた木の皮にだけ着いている。
南方熊楠の手紙:浄愛と不浄愛,粘菌の生態,幻像,その他(現代語訳15)
岡崎邦輔氏からの来信に、小生のごとき政府や役所に何の関係もない無位無勲の者を召され御言葉を再三賜ったのは従前無例とのこと。御臨幸の前に小生は一書を山田の妻(名は信恵〔のぶえ〕)に遣わし、44年前の春、尊女の長兄と小舟を仕立て鉛山温泉へ渡った。ちょうどその舟が渡った見当の所に、今度御召艦がすわるのだ。
南方熊楠の随筆:紀州俗伝(現代語訳4-25)
和歌山でトンボのメスを糸で繋いでオスを釣るのを「かえす」と言う。これをする子供は「ヒョー、ヒョーやんまひょつちんひょー」と唱える。下芳養でトンボかえすのに「ホーヒーホー」と唱える。鉛山では「ホーヒーホー、かしゃやんまでかえらんせ」と言う。花車すなわち仲居が嫖客を引くようにおとりのメストンボに引かれ来いとの意味か。
Copyright © Mikumano Net. All Rights Reserved.