陸生トコロテン
小生はとても左様な大事業を思い立てることはできないが、ものはみな順序がないわけではなく、まず第一に空中から窒素を取る一方法としては、その方向きのバクテリアを要請しないわけにはいかない。
バクテリアの種を養成するのに、普通用いるアガーアガー(トコロテンを精製したもの)は今日決して安価なものではない。トコロテンを作ることができる海藻は至る所の海には生じない。海中でも定まった少ない場所でだけ生ずるものなので、とうてい空中から多くの窒素を取るのに必要なだけ多く我が国では産しない。
しかしながら、他国は知らないが、この紀州にはずいぶん多く生ずるパルモグレアという藻がある。これは陰湿の丘側また山村の家の庭園などで、葛を煮てうち投げたような、透明の無定形の餅塊をなして多く生ずるのだ。
顕微鏡で見ると、このような〔図のAをさす ※図は本で見てください。『南方熊楠コレクション〈第4巻〉動と不動のコスモロジー』 (河出文庫) 344頁※〕微細の小判形の緑色のものが多くある。これが藻の本体で、こんな〔図のBをさす ※図は本で見てください。『南方熊楠コレクション〈第4巻〉動と不動のコスモロジー』 (河出文庫) 344頁※〕餅塊でつつまれる。これがゼラチンで、件の藻の体からふき出されるのだ。
海藻からカンテンを作るには煮たり晒したりいろいろと手数を要するが、この陸生のトコロテンは既成のカンテン同様純白無色透明で、ただ多少混入した土砂をさえ除けばよいのですこぶる便利でもあり、土の上に生じたのを水に入れ、ちょっと洗って砂糖をかければただちに食うことができる。陰湿の地にさえあれば多量に繁殖させることができる。
よってこの陸生トコロテンを多く繁殖させて、空中から窒素を取ることができるバクテリアを安価に多く繁殖させる方便にしようと企てて、第一に日光とこの藻との正確な関係知り明らかにすることを要するため、一畝ほどの畦を作り、これに件の藻を植えつけ冬至の日にその畦の北端まで日が当たるように作り、それから1日1日と経つにしたがい、日光がおいおい夏至までにその畦の南端まで及ぶように作り、多年日光がこの藻に及ぼす影響を試みた。ただし、この他にもいろいろと学術上試験すべきことがあって、この畦を日夜7度ずつ、夜は提灯を灯して5年つづけて怠りなく視察しているのだ。