河東碧梧桐(かわひがし へきごとう)
河東碧梧桐(1873年〜1937年)は、日本の俳人・随筆家。
河東碧梧桐は、1911年(明治44)3月に田辺の南方熊楠(1867年~1941年)を訪ねている。「木蓮が蘇鉄の側に咲く所」という句を詠んだ。
雑誌「日本及日本人」にその訪問記を掲載。
河東碧梧桐(1873年〜1937年)は、日本の俳人・随筆家。
河東碧梧桐は、1911年(明治44)3月に田辺の南方熊楠(1867年~1941年)を訪ねている。「木蓮が蘇鉄の側に咲く所」という句を詠んだ。
雑誌「日本及日本人」にその訪問記を掲載。
南方熊楠の手紙:履歴書(現代語訳1)
前日、小畦(こあぜ)氏より手紙が来て、 あなたが小生の履歴を求めていて、これを世に公開して同情者に寄付を訴えようと考えてくださっていることを知りました。しかしながら、このようなことはすでに度々友人たち(杉村楚人冠、河東碧梧桐、故福本日南、田中天鐘道人など)がしてくださったことで、それぞれその人々の文集に出ておりますが、さしたる効果もなく、ただこの人々の名文で書いた小生の伝記のようなものを読んで熊楠は奇人だなどと申し伝えられるだけに留まり、まずは浮かれ節(※俗謡※)同様の聞き流しとなります。
南方熊楠の手紙:山男について、神社合祀反対運動の開始、その他(現代語訳13)
前日、河東碧梧桐が来訪。いろいろ話を承ったが、肥後の五家なども、近頃、古風俚伝がまったく忘れられ、風俗に観るべきものもなく、ちゃちゃむちゃとのこと。熊野もその通りで、貴下などの御来臨があっても、何ひとつ見るべきものもなく、ただただ飛鳥山から板橋辺へ歩むその間の谷が深く見える禿げ山の並んだと申すばかりであります。
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