山男について、神社合祀反対運動の開始、その他(現代語訳13)

南方熊楠の手紙(現代語訳)

  • 1 山男について
  • 2 山男の冬期の食べ物、燕は日本を去って
  • 2 狒々について
  • 4 唇熊について
  • 5 狒々は熊か
  • 6 広畠氏から聞いた俗譚
  • 7 駝鳥、唇熊
  • 8 ハリセンボン
  • 9 幼少時代、海外遊学時代
  • 10 熊野で
  • 11 神社合祀の弊害
  • 12 大山神社
  • 13 最初に意見書を大臣へ

  • 最初に意見書を大臣へ

     去年の初め、木下友三郎氏が小生の意見書を新聞、国会などへ出さず、木下氏を経て平田大臣へ出せ、と言われた。小生はそのとき山奥から出て来て、政治上のことは何も知らず、どうしようと迷ううちに、人々が言うには、このような意見書を大臣に出したら大臣の握り潰しとなり、久しく留置の後、曖昧な返事、すなわち参考にしておこうぐらいの返事をくだされるだけで、さて、その返事のくだされるまでの長い間、一言もこの意見について口外できず発表できない、とのことである。

    よってそれではつまらないと思い、議会へ出し、また地方と京阪の新聞でその一部分を述べたのです。今から思うと、地方の村吏、俗吏などの悪いのに似ず、中央政府の人々はなかなかわけもわかっていて、また決して無理なことを言わない。

    (当県で最初に出た合祀の訓令などは、じつに条理正しく処分も適切なものである。それを私欲一片の俗吏、小官、神主などがいろいろと変更して、ついに5000円という大金を標準として片端から神社を滅却し、さてその5000円の調達のためと言って、また片端から林木を滅尽したのだ。この5000円という基本金を定めた控え書きも役所になく、また何月何日に出たということすら当該吏も覚えておらず、じつにうろん千万なことである。)

    ゆえに今まで辛苦抗弁するのに先立って、最初に意見書を大臣へ出したなら、はなはだ好都合であったことと小生は悔いております。貴下、折をもって木下氏に話し置いてくださいませ。

     むかしスパルタ王アルゲシラウスは、エジプト人に乞われてみずから援軍に行ったが、エジプトはその武勇を見て大いに喜び、敵は蛮民で兵法はまったくない輩なので、この王の手に懸かったら数日で滅びるだろうと言ったのを、アルゲシラウスは大いに憂うる気色である。人の問いに応じて言ったのことには、敵も兵法を知った者ならば無謀突飛なことをしないから兵法をもって謀って勝つだろう、兵法をまったく知らない者は何をするかわからない、と。果たして数日後に蛮民に襲われて戦死したと申す。

    相手がわけのわかった人ならば、まことに致しやすいが、ただ今のこの地方のようなのは、相手は無法、無残、利欲一辺の我利我利輩で、こちらは精力根気に限りがあるので、まことに難しい立場に小生はあるのだ。貴下にも、何とか速やかに当国の神社と林木がこれ以上破壊されるのを防ぎ止める御名案はないですか。

     前日、河東碧梧桐が来訪。いろいろ話を承ったが、肥後の五家なども、近頃、古風俚伝がまったく忘れられ、風俗に観るべきものもなく、ちゃちゃむちゃとのこと。熊野もその通りで、貴下などの御来臨があっても、何ひとつ見るべきものもなく、ただただ飛鳥山から板橋辺へ歩むその間の谷が深く見える禿げ山の並んだと申すばかりであります。

     まずはあまりに長文なので、これにて切り申します。そのうち果てしのないことながら一件片付きましたら、また『太陽』などの御貸与中の御論をも拝見し、何か申し上げましょう。もしまた事が繁くなり、到底拝見の見込みがなくなりましたら、今から1ヶ月中にお返し申し上げましょう。

     明治44年5月25日夜9時過ぎ

    南方熊楠再拝  

       柳田国男

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    「山男について、神社合祀反対運動の開始」『南方熊楠コレクション〈第2巻〉南方民俗学』 (河出文庫)所収。

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