山男について
明治44年5月18日夜中、午前2時から認め、翌朝出す
拝啓。過日お手紙及び雑誌類を拝受いたしました。小生はいろいろ心配なことが多く、そのためお返事が大いに送れ申しました。近日また当国第一の難所、安堵が峰地方に行きます(10日なかり滞留)。ただ今真夜中ですが、差し当たりちょっとお返事申し上げます。
『太陽』と今ひとつの雑誌は、お急ぎでなければ、いま40日ほどお貸し置きください。暇を得たらいろいろ申し上げましょう。小生は多用なのでちょっと書き終えることができず、暇を見つけてちょっとちょっと書き続けます。書き終わり次第投函するつもりです。
山男のこと。
拙妻の話に、山男は身体にコケが生えていて、山小屋に来たりして気味の悪いものである。そのようなときは鋸の目をヤスリで立てると(研ぐことである)、たちまち去る、と。その亡き父(当地の闘雞社すなわち田辺権現〔『源平盛衰記』に見えた熊野別当が源平いずれに付くべきかと赤白の鶏を闘わせた社〕の前社司で、このような古い話を多く知っていた)の話とのことです。
このことは6年前に妻から承り、小生の日記に控えておきました。さて、前日山男のことをお尋ねになったので、妻に尋ねたところ、何ごとも知らないと申しました。それでも日記を調べますと右のことを確かに記してあったので、そのことを話しまして妻もようやく思い出しました。話は聞いたときに控えておかなければ、たちまち話した本人が忘れ去る、その例です。
この他にいろいろと聞き合わせましたが、前書に申し上げました山爺(やまおじ)は人と罵りあうとき人がまず声を発せば勝つと申します。安堵が峰辺りの伝話の他にこれと申すものは聞きません。いろいろと根掘り葉掘り聞くときに語り出すものは、多くは手製の虚構です。
古話、伝説というものは、なかなかいたる所にあるものではなく、また会う人ごとに存じているものではありません。また所により何の伝説もない場所もたくさんあります。ご存知のこととは存じますが、1ヶ条見当たりましたので書きつけ申し上げます。
『続々群書類従』第八、地理部に収めた『本朝地理志略』(「林羅山が朝鮮国信使由竹堂の求めに応じて、これを抄出する。時に寛永20年秋のこと」)の3頁に、
「駿河国。阿部山中に物がいる。名づけて山男という。人でもなく獣でもない。形は巨木の断ったのに似て、四肢があって、これを手足とする。木皮に2つの穴があり、これを両目とする。甲の裂けたところを鼻口とする。左肢に曲木と藤をかけて、これを弓の弦とし、左肢に細枝をかけて、これを矢とする。
あるとき、1人の猟師が出会って、これを射て倒す。大いに怪しんでこれを引くと、岩石に触れて血を流す。また、これを引くと、はなはだ重くて動かない。驚き走って家に帰り、大勢とともに行って尋ねたが、姿が見えず、ただ血が岩石に流れているのを見ただけであった」。
これが小生が諸書で見たうちで、本邦の山男のもっとも古いものでございます。